第2191号(2011年10月31日)の内容

<1面>
増税・貧困強制攻撃を打ち砕け
復興」増税・消費税増税阻止! 野田政権の独占資本支援策反対! 社会保障切り捨て反対
欧米労働者・人民と連帯して闘おう

<4〜5面>
原子力の平和利用」論の犯罪性の糊塗
 日共式「原発ゼロ=低エネルギー社会実現」理念の反労働者性
<2面>
最高裁で勝利かちとる! 10・14
 大経大「退学処分撤回」裁判
「復興特区制度」創設を許すな
<3面>
「惨事便乗型資本主義」とは何か?
原発被曝の不安打ち消しを狙う
 文科省の児童・生徒向け新『副読本』
週間日誌〈世界の動き・日本の動き〉
<6面>
原発の再稼働を容認するJEC連合労働貴族を許すな
日産が九州工場を分社化
Topics 若手労働者に海外研修・出向を強要
<7面>
「連合」第12回大会
 原発再稼働容認の方針決定に腐心する古賀指導部弾劾!
九電−自治体当局−地域資本家
 どす黒い原発利権=@ 〈下〉
<8面>
ノーモア・フクシマ』が発刊
不破のトンデモ「利潤」論
  「解放」最新号
































  


増税・貧困強制攻撃を打ち砕け


 「復興」増税・消費税増税阻止! 野田政権の独占資本支援策反対! 社会保障切り捨て反対!
 
欧米労働者・人民と連帯して闘おう

全学連・反戦が世界の労働者と連帯して決起
<10月23日、東京> (詳報次号)

 今日、ヨーロッパ各国で、そしてアメリカで、労働者・人民は失業と貧困を強制する政府・独占ブルジョアジーにたいする憤怒に燃えて闘いに決起している。財政危機の打開を名分として各国の権力者がうちおろしている増税、年金・社会保障制度の改悪、公務員の首切りや賃下げ攻撃にたいして、ギリシャをはじめとしてヨーロッパ各国の労働者はストライキと巨万のデモで反撃している。金融諸機関や大企業にたいしては手厚い支援・庇護をおこないながら、大多数の労働者・人民を低賃金と失業、借金地獄に追いこんでいるオバマ政権にたいして、アメリカの労働者・人民は金融諸機関の本拠地ウォール街の占拠を合言葉に決起している。
 いまやソブリン危機・金融不安にあえぐドル帝国が没落をあらわにしているだけではなく、もう一方のユーロ通貨圏・EU経済圏の帝国主義諸国もまた、PIIGS諸国のソブリン危機を引き金とする金融危機爆発の切迫に恐れおののいている。そして、わが日本帝国主義は、大震災・東京電力福島第一原発事故による打撃に加えて、米欧の経済危機によるドル安・ユーロ安の反面としてもたらされている一ドル=七六円台の超円高に直撃され、不況脱出の道を断たれている。まさに帝国主義各国は、それぞれに出口なしの経済危機に直面し、しかもEU発国際金融恐慌勃発の危機におびえながら死の苦悶にあえいでいるのである。
 各国の独占資本家と権力者どもは、この危機を労働者階級・勤労人民にたいする一層の犠牲の強要によってのりきろうと策している。日本の独占資本家どもは円高の打開策と称して海外生産比率をこれまでにもまして高めようとしている。日本の労働者にたいして一層の首切りと賃金切り下げを労働貴族どもの協力のもとにおしつけながら。野田政権は「震災復興」を名分とする増税と、社会保障費を賄うと称しての消費税増税をも労働者・勤労人民におしつけようとしている。この政権はまた、独占資本家どもの要求にしたがって停止中原発の早期再稼働を画策している。
 10・23の労学統一行動の地平にふまえ、われわれは今こそ、野田政権と独占資本家どもによるこれらの攻撃を打ち砕く闘いを、「連合」労働貴族による抑圧と裏切りを弾劾しつつ、断固として爆発させなければならない。独占資本家階級と各国権力者の攻撃に抗してたたかうヨーロッパ・アメリカそして全世界の労働者・人民の闘いと連帯し、わが革命的左翼の底力を発揮してたたかいぬこうではないか。

(以下見出し)

欧米各国で失業・貧困強制に抗し決起する労働者・人民

財政危機・金融危機の労働者・人民への犠牲転嫁


今こそ失業・貧困強制に反撃する闘いのうねりを
Top

  


日共式「原発ゼロ=低エネルギー社会

実現」理念の
反労働者性


  「原子力の平和利用」論の犯罪性の糊塗


T 官僚的自己保身にかられた原発政策の転換


  「原発からの撤退」政策へのなしくずし的転換


U 「原子力の平和利用」論への固執
 「原発ゼロ」「自然エネルギーの本格的導入」をエネルギー政策にかんする代案として提示しながらも、「原子力の平和利用にむけての基礎研究の必要性」を説いている不破=志位指導部。彼らは、後者は「党の立場」であって「国民的共同」のための「原発からの撤退」という一致点とは区別せよ、とがなりたてている(三中総)。「原子力の平和的利用」の立場は「人類の未来を長い視野で展望した」「党としての科学の立場」(党原発・エネルギー問題対策委責任者・笠井、『前衛』八月号)というわけなのだ。
 だが、日本帝国主義権力者・独占ブルジョアジーが「原子力の平和利用」の名において開発・建設してきたのが原発(「原子の太陽」)であって、東電・福島第一原発の大事故が引き起こされた今においてもなお「原子力の平和利用の可能性」云々を語ることそれ自体が犯罪ではないのか。原発が「地上の悪魔」でしかないことが――チェルノブイリ原発事故に引き続いて――突きつけられているにもかかわらず、たとえ「基礎研究」という内実においてではあれ未来における「原子力の平和利用」の可能性を説くのは、代々木官僚が科学主義・技術主義にどっぷり浸かっていることの証左である。科学技術主義の節穴から事故をながめまわしているにすぎないからこそ、日本政府・電力資本を弾劾し全原発の即時運転停止・廃棄をかちとることなどは彼らの射程外のことなのである。

  原発開発の階級性を暴きだしえない誤謬

  「科学技術の無階級性」論の錯誤



V 資本制的技術文明への屈服と跪拝


  「低エネルギー社会」実現の夢妄想

  資本制商品経済的物化についての没哲学

 今回の福島原発事故をめぐって、これを引き起こした日本政府・電力独占体(独占ブルジョアジー)を弾劾するにとどまらず、その根拠になっている巨大技術としての原発プラントの資本家的階級性を、それゆえにまた資本制的技術文明の悪を洞察し暴きだしていくべきなのである。東日本全域に、そして地球上に放射能をまき散らした人類史的犯罪のブルジョア階級性をこそ告発していくべきなのである。それなしには、福島原発事故の原因を「自然災害=天災」の問題にすりかえ居直っている民主党政権・保守系政治エリートと独占ブルジョアジーの原発推進策を打ち砕いていく闘いの理論的=イデオロギー的武器を磨きあげていくことは決してできない。「エネルギーの安定供給」を絶対的前提として「低エネルギー社会」の実現という夢妄想をふりまくことは、労働者・人民の目を曇らせ現存ブルジョア政府への幻想を煽りたてる犯罪いがいの何ものでもない。
 フクシマの核惨事の意味するものを「エネルギー供給(政策)」の問題に矮小化しすりかえるのではなく、まさしく資本主義的技術文明による地球環境破壊と人間破壊の極致を示した人類史的犯罪として暴きだすことが必要なのである。
 「『病んでいる地球』とは、現代資本主義技術文明そのものの病の象徴的表現にほかならず、物質的にも精神的にも資本主義的自己疎外におちこんでいる人間的自然存在の対象的表現にほかならない。」(『実践と場所』第一巻、六五九頁)
 「むごたらしい戦争と原子力の驚くべき破壊力、これらにもとづく地球環境破壊が、いわゆる『自然の破壊』の第一のシンボルとするならば、土壌と水(海をふくむ)と大気の相互にからみあった汚染の深刻化が、その第二のシンボルであるといえる。地球汚染のゆえにもたらされるであろう公害の第三のグループは、現代人そのものの電脳ロボット化であり、新たな疫病に襲われるであろうことなどである。」(同、六四一頁)
 日共・不破=志位指導部が、このような地球環境破壊と人間的自然の破壊についての洞察をなしえないのは、資本制商品経済の物化構造についての、人間の資本主義的自己疎外についての経済学=哲学的把握を欠損しているからにほかならない。「利潤第一主義」とか「剰余価値生産」とかと称してはいても、人間労働力もが商品化されることによって人間の物化が・したがってまた生産諸関係の人格化があらわになるという、資本制生産の転倒性についての考察は、それゆえにまた人間の非人間化=物化という人間の自己疎外の完成についての経済学=哲学的省察は、――代々木官僚の哲学の貧困のゆえに――皆無である。人間の資本主義的自己疎外の根底的止揚のために、労働者階級の自己解放をつうじて人間の人間的=普遍的解放を実現するという、マルクス的イデーを根幹から破壊しているのが、「マルクスの継承」をなお恥ずかしげもなく謳っている不破であり代々木官僚なのである。
 「現代技術文明の基底的基盤になっているのは、まさしく商品経済的物化構造であり、資本・貨幣・商品という物神への跪拝が社会的規範にさえなっているということである。社会的人間のこのような自己疎外の完成は、いま、いよいよ深刻の度をましている現代ブルジョア的物質文明の暗黒面を決定している最深の根拠にほかならない。」(『実践と場所』第二巻、三七五頁)
 まさに、代々木官僚が唱えている「低エネルギー社会」の実現なるものは、原発反対運動に決起している労働者・人民にたいして現代資本主義的技術文明の暗黒面から目をそらし、闘いの労働者階級的質を強化していくことを阻害し疎外するものでしかありえない。

 今こそ、日共の下部党員は、党中央の官僚的自己保身にもとづく原発政策の転換のなしくずし性・欺瞞性とその内実の反労働者性に覚醒し、転向スターリン主義党と決別せよ。われわれは、原発・核開発阻止闘争の前進のために奮闘するとともに、そのただなかにおいて、日共の原発政策とその理念にたいするイデオロギー的批判を強化していくのでなければならない。代々木官僚を追撃するための思想的=組織的闘いをヨリいっそう強化し、わが革命的戦列を打ち鍛え・拡大していこうではないか。
Top
 

   

10・14 最高裁で勝利かちとる!


大阪経済大「退学処分撤回」裁判


 わが関西のたたかう学生たちは、最高裁において、大阪経済大学「退学処分撤回」裁判の画期的勝利をかちとった。
 十月十四日、最高裁第二小法廷は、大阪経済大学当局による自治会役員ら五名の学生の退学処分(二〇〇六年一月二十三日)の撤回を求める民事訴訟において、大経大当局による上告の申し立てを棄却する決定を下した。大経大当局が強行した学生二名の退学処分は「違法・無効」であるとした大阪高裁控訴審判決(〇九年十二月二十五日)が最終的に確定したのだ。
 関西における革命的学生運動の不抜の拠点である大経大自治会を破壊するために、国家権力・大阪府警は、自治会役員ら九名のたたかう学生を「暴行・傷害」などというデッチ上げ容疑にもとづいて不当逮捕した(〇六年一月)。そしてこの「事件」を口実にして自治会役員ら五名の学生を退学処分にしたのが、大阪府警と結託した大経大当局であった。大経大のたたかう学生たちは、じつに六年にわたる裁判闘争において、このファシズム的な革命的学生運動破壊攻撃の反動性・不当性を徹底的に暴きだし、ここに画期的な大勝利をかちとったのである。
Top

    


『ノーモア・フクシマ』が発刊



原発・核開発反対闘争の前進へ 待望の書!


 『ノーモア・フクシマ 世紀の核惨事』(浦上深作・白嶺聖編著、あかね図書販売)がついに刊行された。
 本書は、東京電力福島第一原発事故が継続中であり、事故原因の確定さえできていないにもかかわらず、停止中原発の再稼働に突進する野田政権への弾劾の書である。そしてまた、この政権によって放射能禍に叩きこまれ呻吟する福島県民との熱き連帯のもとにたたかう宣言の書である。
 首都・明治公園に六万余の労働者・学生・市民が結集して「原発とめろ!」の声を轟かせた9・19の集会とデモ。原発に反対する闘いとしては史上最大の高揚をかちとったこの闘いは、だが同時に、既成指導部によって「自然エネルギーへの転換」を野田政権に要求するものへと、総体としてはおし歪められた。しかも、この闘いの中核を担ったのが平和フォーラム系の自治労や日教組の組合員であったにもかかわらず、集会では労組代表の発言は一つもなく、集会は市民主義的な性格を刻印されたものとなった。この限界をいかに突破していくべきか。その方向性は本書において鮮明に提起されている。「エネルギー政策」転換要求運動をのりこえ<すべての原発・核燃施設の即時停止・廃棄>の闘いに起ちあがっている革命的・戦闘的な労働者・学生にとって、本書は強力な武器となるであろう。
 本書のカバーには、黒煙を噴き上げる福島第一原発3号機がイラストで描かれている。その黒煙は、獰猛な巨獣が檻を破って立ち上がったさまを連想させる。黒地の上に白く浮き出た「ノーモア・フクシマ」の文字は、凛とした闘いへの決意を喚起させる。格調の高い装丁となっている。

世紀の核惨事はなぜ起きたのか

 本書の巻頭を飾る「人類史上最悪の核惨事」(浦上深作)で筆者は、まず、旧ソ連邦のチェルノブイリ原発事故をも超える人類史上最大の原発事故を引き起こした日本政府・東京電力経営陣を、満腔の怒りを込めて弾劾している。そして、事故発生半年後の今もなおどのような危機が進行しているのか、この事故発生の根拠はどこにあるのか、この原発事故は社会的・階級的には何を意味するのかを、徹底的にえぐりだしている。
 まず、「一時的に注水が停止するならば……水素爆発の威力をはるかに上回る水蒸気爆発がひきおこされかねない」という危機。さらに「注入してきた淡水や海水が、放射性物質の高濃度汚染水となって……あふれ出しかねない」という危機が継続していることを明らかにしている。同時に、「高濃度汚染地域に住民を放置」し、また「原発労働者に過酷な被曝を強制」している政府・東電経営陣の「人民見殺しの事故処理・汚染対策」を詳細に暴露し弾劾している。
 つづいて筆者は、この四基連続の炉心溶融・爆発事故の直接的原因を、「地震・津波によってもたらされた全電源喪失による安全システムの機能不全=完全崩壊にある」と突きだしている。
 このようなおざなりの「安全対策」がなぜ不可避となるのか。「電力資本家は、何よりも電力生産のコスト削減=生産性の向上を第一義とするのであり、それにかなう限りでの事故防止策としての『安全対策』を施すのである。」筆者は、「この独占資本家的に限界づけられた『安全対策』の破産」を、怒りをこめて経済学=技術学的にえぐりだす。
 これと同時に筆者は、この福島原発事故を、「日本帝国主義国家が営々としておしすすめてきた原発・核開発の壮烈な破産を示す」ものとしてほりさげている。
 このようなヴィヴィッドな内容展開がなされている浦上論文は、日本帝国主義の原発・核開発に反対する闘いのさらなる高揚をかちとるために必要不可欠な理論的武器を、包括的に提起しているのである。

野田政権の原発政策の核心を衝く

 「原発の再稼働に突進する野田政権」(白嶺聖)では、野田政権の二枚舌ぶりが鮮明に暴露されている。「〔原発を〕新たにつくるということは現実的に困難」であるなどと低姿勢ぶりをおしだしてきた野田政権が、「早期=二〇一一年内にも〔停止中原発の〕再稼働を断行する決意をぶちあげ」、また「官民一体の国家プロジェクトとして原発を〔経済新興諸国に〕売り込む意志を鮮明にしている」、と。
 この野田政権の登場をもろ手をあげて歓迎したのが、経団連会長の米倉弘昌をはじめとする独占資本家どもであり、彼らは「エネルギーが経済性のある価格で安定的に供給されることが重要」だと称して、野田政権に原子力発電を護持すべきことを叫んできた。さらに筆者は、「再生可能エネルギー開発に利殖の機会を求める一部独占資本家ども」が登場していることにも着目し、その背景にも言及している。
 このような独占資本家どもの意向に応えようとしている野田政権の原発政策の基本は何であるのか? @「エネルギー安全保障の強化」策、A「潜在的核保有国」としての威信の確立、という歴代自民党政権の政策。これを引きついだ民主党政権の、B「温暖化ガス二五%削減」の公約実現の手段、C原発プラントの輸出、という基本政策。野田政権はこれらを「福島原発事故をひきおこし危機に陥った日本帝国主義の生き残り≠フために、現下の情勢にふまえて貫徹しようとしている」のだ、と筆者はとらえ、具体的にほりさげている。

日共の原発政策を全面的に批判

 9・19集会には、日共中央の指導のもとに「全労連」が正式参加した。だが、大衆的批判に包囲されることを恐れた日共中央と「全労連」指導部は、「全労連」傘下の諸労組の労働者たちを、会場から道路を隔てた小公園に隔離した。デモで日共系労組役員が「安易な再稼働反対!」と叫んで、周囲のたたかう労働者たちから「安易でなければいいのか!」といっせいに野次られた。
 このような事態に示されているように日共は、原発政策をめぐって大混乱し党そのものが解体的危機に陥っている。この日共の原発政策を徹底的に批判しほりさげているのが、「日本共産党の原発政策の犯罪性」(守門勘九郎)である。
 「今すぐ原発を止めろと言うのは無責任」などと公言していた党委員長・志位和夫。これを徹底的に批判した革命的・戦闘的労働者・学生への共感が下部党員や支持者に広がり指導部批判が噴出した。「このことへの焦りに駆られて、党官僚としての保身をはかるために、そして『すべての原発をとめろ』という声におもねり・これを自党の票田とするために、原発政策の転換に踏みきった」のだ、と筆者は暴きだしている。
 さらに、日共の原発政策の反動性を批判するとともに、そのジグザグの歴史をも暴きだしている。@今ごろになって「安全な原発はありえない」と言いだしているが、政府・電力独占資本の「安全対策」への批判の内実はあまりにも皮相であり、「安全対策」の独占資本家的限界についての経済学的=技術学的分析を欠如していること、A「電力の安定供給」を最優先にした代案の提起は、つまるところ野田政権のエネルギー政策を補完するものでしかないこと、B「一貫して原発の建設に反対してきた」などという主張は歴史の大偽造であり、その実態は「原発反対運動に敵対しつづけてきた歴史であり、その罪は深く重いのだ」、と。
 本書にはさらに、福島第一原発事故をめぐる論戦のひとつとして、「怨霊鎮め≠フ『文明災』論――梅原猛の『福島原発事故』評論をめぐって」(片桐悠)をも収めている。
 この核惨事を「人災」ととらえるだけでなく「文明災」であると断じている梅原。この梅原式の「現代文明の悪」との対決の誤謬を、黒田寛一の『実践と場所』に学びながら、深くほりさげている本論文は、フクシマの核惨事≠ノ示された現代技術文明の本質は何であり、それをいかに克服すべきかを明示している。

チェルノブイリ原発事故弾劾闘争の教訓

 「チェルノブイリ以後二十五年」(片桐悠)では、筆者はまず、一九八六年の「事故の発生から二十五年が経っても、チェルノブイリの核惨事は……現在もなお進行中である」と、怒りと痛憤を込めて具体的に暴きだしている。
 そのうえで筆者は、「社会主義」ソ連邦におけるチェルノブイリ原発事故を弾劾したわが革命的左翼の闘争の「世界に冠たる質をもってたたかわれた」その革命性を明らかにする。と同時に、闘争の初期にうみだされた偏向を克服するための内部論争とその教訓について提起している。
 たとえば、「事故の被害・その放射能惨禍の凄まじさに感性が揺さぶられ」「この原発事故を原発一般の危険性≠ゥら天下って技術主義的にその『根拠』を暴露するような傾向」、この傾向を克服するための論議をつうじて、「事故を起こした原子力発電所をば、特定の社会的生産関係に編みこまれてあるものとして、歴史的=社会的規定性を刻印された現実形態そのものとして、前提的に措定」する必要があるという「方法上の諸問題」を明らかにしている。
 また、われわれがつくりだすべき闘争を「反原発闘争」と規定しないのはなぜか、なぜ「原発・核開発反対闘争」と規定するのかの理論的根拠をも明らかにしている。
 なお、本書には、筆者片桐の一九八六年執筆の「チェルノブイリの悲劇」、「チェルノブイリ原発事故をめぐる思想問題」をも収めている。
 さらに、日本で相次いで生起した重大な原発事故をめぐって、「『もんじゅ』ナトリウム火災事故」、「東海村JCO臨界事故」、「福島大事故の予告=\―中越沖地震に直撃された東電柏崎刈羽原発」の三論文が収められている。
 六つのコラムと六つの図、年表「原子力開発と原発事故の歴史」などは、諸論文の理解を助けてくれるであろう。
 原発・核開発反対闘争を戦闘的・革命的に推進するための理論的武器として、ぜひ本書を活用されたい。
Top