第1820号 (2004年5月24日)の内容

<1面>
〈反米反占領〉の民衆蜂起と連帯しイラク反戦・改憲阻止に起て

<4面>
イラク反戦の高揚を
米英占領軍と一体化する日本国軍

<5面>
無差別大量殺戮兵器MOAB
◆イラクのディエンビエンフー
◆ローテクの威力

<2面>
イラク派遣第二次隊の出兵阻止!   道共闘が連続決起(5・8、真駒内―千歳)
メーデーの高揚へ闘う労働者が奮闘

5・1「全労連」中央集会/「全労協」日比谷集会
4・28 鹿児島大生が反戦WALK

<6面>
シリーズ郵政生き地獄=i3)
また仲間が殺された!

進む市町村合併―福岡県
Topics 「同一労働・同一賃金」?

<7面>
「警察法」改定の反動的本質

<8面>
「RMG―KK通信」を読んで
学習ノート:価値を創造する独自的商品とは
うた ムスリム人民の反米蜂起
◆2・21千歳現地闘争の感想

<3面>
万華鏡2004――情勢の断層を読む
ナベツネ一族の居直りの弁
◆世紀の凡戦
◆そのウソ本当?

「暴力団対策法」改定の狙い

週間日誌〈世界の動き・日本の動き〉
「解放」最新号
 




















































    

〈反米反占領〉の民衆蜂起と連帯しイラク反戦・改憲阻止に起て

以下、見出し

「民主主義」をむきだしにした捕虜拷問・虐待

「イラク戦争のイラク化」の破綻

瓦解する「友邦同盟」

ブッシュ政権との心中の道を突進する小泉政権


国連幻想を煽る日共をのりこえて闘おう
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イラク派遣第二次隊の出兵阻止!   道共闘が連続決起(5・8、真駒内―千歳)

 小泉政権は五月八日、陸上自衛隊イラク第二次隊の出兵を強行した。
 午前九時半、まさに陸自第二次隊の隊旗授与式が強行されようとしていたその時、たたかう学生たちは札幌の陸自第十一師団真駒内駐屯地ゲート前に登場した。すぐさま「STOP! 第二次派兵」と書かれた横断幕をひろげ、シュプレヒコールを叩きつけた。
 同日午後三時、首相・小泉がかけつける直前の空自千歳基地ゲート前に、わが全学連道共闘のたたかう部隊は登場した。「イラク出兵阻止!」「たたかうイラク人民と連帯してたたかうぞ!」学生たちは怒りをこめてシュプレヒコールを叩きつけた。


4・28 鹿児島大生が反戦WALK

 四月二十八日、鹿児島大学のたたかう学生たちは、「自衛隊をイラクから撤退させよう! アメリカのイラク軍事占領をうち砕こう! 4・28昼休み反戦WALK」を実現した。鹿大郡元キャンパス付近の比較的にぎやかな騎射場地区を一周するコースを「占領反対! 自衛隊撤退!」――学生たちはかけ声をかけ、市街地を元気にねり歩いた。


メーデーの高揚へ闘う労働者が奮闘
5・1「全労連」中央集会
 五月一日、代々木公園において、日共系の「全労連」などでつくる実行委員会主催の第七十五回中央メーデー集会が、四万二〇〇〇人(主催者発表)を結集して開催された。
 集会場入り口にはわが革マル派の真紅の旗が翻る。「敗北にあえぐブッシュ帝国の、国連に依拠したイラク占領継続を許すな! 日本国軍の米英占領軍との一体化弾劾!」と呼びかけるわが情宣部隊の闘志あふれる声が、結集する労働者を迎える。
「全労協」日比谷集会
 「全労協」系の第七十五回「日比谷メーデー」は、五月一日十時から日比谷野外音楽堂において開催された。会場入口ではわが同盟の情宣部隊が「アメリカ軍によるファルージャ民衆虐殺を弾劾しよう!」「有事関連七法の制定を阻止しよう!」と元気に呼びかけながら、「反戦・反改憲の広範な労組の共同行動を!」と訴えるビラを次々と参加者に手渡した。
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シリーズ 郵政生き地獄=@我々は許さないぞ!
また仲間が殺された!
深夜勤導入(二月八日)以後東京だけで七人が過労死


 今日、ひとりまた、職場の仲間が公社当局によって殺された。
 東京・世田谷局、第二集配営業課総務主任のIさん(四十七歳)が、療養中の病院で亡くなった。彼は、三月下旬まで、ふらふらになりながらも、休むことなく働いていた。昨年から体の異変には気付いていたのだが、仕事仕事に追いまくられて、休養することもできなかった。奥さんには「仕事がきつい」「職場に行きたくない」と漏らすこともしばしばだった。彼が勤務していた世田谷局は、JPS(ジャパンポストシステム)と銘打ち、生産性を飛躍的に向上させると称して、トヨタ生産方式を模倣して「ムダ・ムリ・ムラ」を徹底的に排した合理化諸施策を局をあげて遂行する実験局(埼玉県・越谷局に次いで)であった。たび重なる集配外務の夜勤や超過勤務やサービス残業を強要され、へとへとになり、ストレスがたまって、昨年暮れいらい円形脱毛症にもなっていた。周りの仲間たちは、彼の健康を気づかった。仲間にたいしては「大丈夫」と言って、Iさんは黙々と働きつづけてきていた。しかし、今年四月、彼は極度の体調不良を訴え、ついに動くこともできなくなった。そして、入院から一ヵ月後、Iさんは亡くなった(末期の「肺癌」とのことであった)。
 Iさんを若くして死に追いやったのは、郵政公社当局だ。トヨタ生産方式を猿まねした公社当局によって、くたくたになるまでこき使われたのだ。Iさんは、「深(ふか)夜勤」こそなかったが、集配外務の副班長として、業務を滞りなくこなすために、みずから早出や昼休みの段取り作業や超勤を買ってでていた。それだけではなく、トヨタ方式の無手勝流で理不尽なあてはめを労働者に強要する公社(世田谷局)当局者と現場の労働者(班員の仲間)との板挟み≠ノなって、彼は悩んでもいた。責任感の強い彼は、いつも業務が完了するまで居残り、さらにそのあと遅くまで、当局者に強要されて「班日誌」を丁寧に・克明に付け(させられ)ていた。このような超長時間かつ超過密の労働を、公社当局が彼に強要しつづけたのだ。こうした過酷で神経をすり減らす労働の連続に、彼の肉体的疲労と精神的ストレスは極限にまで達し、それが「癌」発症にもつながったのだ。体調不良にもかかわらず休養もとれず・医者にも行けずに働きつづけたことによって、彼を蝕んだこの病巣は、短期間に一挙に拡大し、進行したのだといわなくてはならない。公社当局がIさんを殺したのだ。

死者の数をかぞえろ

 彼はもともと病気だった∞あの人は心臓が悪かった∞この人は血圧が高かった≠ネどと、死者がでるたびに責任回避に狂奔している公社当局よ。「労働強化ではない、労働変化だ」などとほざいている全逓本部ダラ幹どもよ。死者の数をかぞえろ! いったい何人死んでいるのだ。何人殺せば気が済むのか。すべての郵政労働者の仲間たち! 悲しみと悔しさと怒りをこらえて、胸に刻みつけておこう。殺人的「深夜勤」が強行実施された(二月八日)以降に東京では、判明しているだけでも、じつに七人もの労働者が過労死した(公社当局に殺された)のだ。

二月二十六日(木)Hさん四十六歳  葛西局 貯金課 総務主任
三月三日(水)Mさん五十八歳
 東京中央 特殊郵便課 主任
三月四日(木)Hさん四十五歳
 国立局 郵便課 課長代理
四月十一日(日)Kさん五十七歳
 牛込局 第二集営課 主任
四月十一日(日)Nさん五十五歳
 東京中央 第二集営課 総務主任
四月十七日(土)Tさん五十三歳
 大崎局 郵便課 主任
五月十日(月)Iさん四十七歳
 世田谷局 第二集営課 総務主任

 Mさんは、狭心症の診断書を当局に提出していたにもかかわらず、「深夜勤」を強要され、四連続夜勤の三日目に、出勤の前に自宅の風呂に入り・風呂からあがってすぐに倒れた。そしてそのまま帰らぬ人となった。
 それほど体の強くなかったKさんは、「作業能率が低い」という「理由」で、日勤の集配外務をはずされ、夜勤ばかりやらされていた!
 いわゆる「通配中勤」(通常配達の集配労働者に速達を併配させる)が強行され、また誰もが配達情報の処理作業に忙殺され、そして配達時間帯指定は細分化され指定郵便も増大した。このように日勤集配作業が極めて複雑になるとともに、労働強度が飛躍的に強化される、という条件のもとで、体力の弱かったKさんのような人は、日勤集配作業を充分にできなくなったのだ。このKさんにたいして、牛込局当局者は、「能率が下がった」ことを口実にして彼を日勤からはずし、あろうことか、過酷な夜勤(オンリー)に回していたのだ。
 このようにして、公社当局は郵政労働者を殺したのだ。にもかかわらず、もともと持病を抱えていた人が亡くなった≠ノすぎないなどとうそぶいているのが、公社当局者なのだ。

閉塞を突き破り、職場から声をあげていこう

 すべての郵政労働者の仲間たち! MさんやKさんやIさんをはじめとして公社に殺された七人の仲間たちを、労組が彼らを守ることができなかった(本部は守ろうとしなかった! 組合職場組織は彼らを守ることができなかった)ということを、われわれは胸を引き裂かれるような悔しい気持ちで噛みしめている。誰もが明日は我が身≠ゥもしれないと思いながら、必死に歯をくいしばり、黙々として働いている。このようなときこそ、すべての仲間は手を取り合い団結して、職場から声をあげていこう! 七人は自分の知り合いではない、自分の職場の人ではないからといって、無関心でいていいのだろうか。いやいや、七人のなかには、自分の知り合いの人も、自分の隣にいた人も、きっといるに違いない。
 過労死の一歩手前の人、神経や精神を病んでいる人、ストレスのはけ口を酒に求めて「アル中」になっている人、いつもいらいらしている人、職場にはこのような人はたくさんいる。みんな「過労死予備軍」にまで突きおとされているのだ。
 強制配転の嵐も吹き荒れている。郵便課から局内配転で保険内務に移動させられ、辞職した女性労働者もいる(女性だから「深夜勤」をさせられないので当局は保険内務に彼女を飛ばした。突然保険課に配転されても、すぐに仕事などできない。結局辞めざるをえないのだ)。貯金事務センターから普通局に強制配転され、わずか四ヵ月しかたたないのに退職した若い労働者も大勢いる。われわれの郵政職場で、われわれと同じ労働者の仲間が、あるものは殺され、あるものは病気にさせられ、あるものは退職に追いこまれ(退職直後に急死する人も少なくない)、そしてあるものは肉体的にも精神的にもずたずたにされている。
 このような生き地獄≠フような悲惨な郵政職場の現実を覆すために、すべての仲間が声をあげ、団結して、労働強化と労務管理の強化にたいしてたち向かっていこう。
 (五月十一日)
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「読売」の自己責任
ナベツネ一族居直りの弁


 「『自己責任論』がすっかり悪者になってしまった」と、弱よわしい響きできりだしたのは、読売新聞の社会部長・楢崎某(「読売新聞」五月一日付朝刊「『自己責任論』は悪者か」)。
 人質(家族)バッシングの急先鋒をつとめた「読売」が「ジャーナリストは危険だからこそ現場に立つ」(郡山さん)、「戦争の悲惨さを語るのが自分の責任」(今井さん)という帰国後の記者会見での二人の発言をひいて、「彼らのそんな発言はそれなりに正しいと思う」なんて言っているのだから大転換=B
 この社会部長という肩書きの男は、ジャーナリストが「現場に立つという方法を選ぶのを阻む権限はだれにもない」「(NGOが)現場入りを選択する自由がないわけではない」なんて、ずいぶんともの分りのよさ≠おしだしている。事件発生直後には、「自己責任の自覚を欠いた、無謀かつ無責任な行動が、政府や関係機関などに大きな無用の負担をかけている。深刻に反省すべき」だ、と叫んでいた(四月十三日付「社説」)のと同じ新聞とは思えないほど。
 「人質」にされていた人びとが帰国しておのおの「自己責任」論に反論し、欧米各国のマスコミも、政府の言うことをきかないものへの懲罰∞民主主義の未成熟∞日本特有のお上意識の不可解さ≠指摘した。とどめ≠ヘ、アメリカ国務長官パウエルの「日本の若者たちの勇気ある行動は賞賛に値する」という発言。アメリカ一辺倒の小泉政権の面々や日本のマスコミも、ブッシュ政権の大番頭の一言にグウの音も出なくなった……。(これもお上意識≠フあらわれか?!)「自己責任」論、人質バッシングの先頭にたった「読売」の態度が変ったのも、つまりはパウエルショックのため。
 ここで白旗を上げて悪うございました∞パウエル様の言うとおりです≠ニ謝罪の一つもすれば可愛げがある。小泉同様、頭を下げるなんてことは絶対にしないのが大マスコミ、とりわけナベツネ配下の読売のオエラ方。当該の楢崎某の一文も、うわべのしおらしさとは裏腹に「自己責任」論にも正当な理由があったのだ、と居直ることにこそ本旨がある。「事件発生直後、……家族とその周辺では、政府批判や自衛隊の撤退を求める声が相次ぎ、実に手際のよいデモや署名集めも行なわれた。」……だから「自己責任」が問題だと言ったのだ。「これを受けて家族の姿勢も変化し……謝罪した」と。
 家族が政府にタテつく態度をとるかぎり、「自己責任」の名をもって徹底して社会的バッシングを組織化するのは当然だ。今回も、そのおかげで家族を「謝罪」に追いこむことができたじゃないか。してやったり≠ニいう成果の確認と、「政府は悪」などと言うものは今後も叩きまくるぞ、これは「日本の言論状況が『未熟』なため」ではなくて、反政府分子を押さえこむために必要なのだ、という決意の表明。これが欧米マスコミやパウエル様への譲歩を装いつつ「読売」の本当に言いたいことなのだ。
 そもそも、ジャーナリストたちがイラクで拘束されていた真っ最中に読売新聞は何をやっていたのか。「邦人人質事件の再発の恐れ」などという政府・防衛庁のご託宣にひれ伏して、戦後初めての自衛隊のC130輸送機による「民間人の避難輸送作戦」のお客様≠ニなって、ともに「自己責任論」の論陣を張ったフジテレビの記者どもとイラク現地から逃げ出したのではないか。ファルージャ現地の実態を伝えるどころか、「非戦闘地域」のはずのサマワで自衛隊の庇護をうけて日本国軍の「健闘ぶり」の大本営発表を伝える役割すらも投げ捨てて逃げ出していたのだ。
 「報道」の看板は正式に投げ捨て、もはや「政府広報紙」と名称をかえることこそが「読売」なりの自己責任のとり方ではないのかね。
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