第1811号(2004年3月22日)の内容

<1面>
3・20世界一斉行動の戦闘的高揚を!
アメリカのイラク軍事占領反対!
日本国軍の出兵・軍政参加粉砕!
「テロ根絶」に唱和する既成指導部に抗して闘おう!


<4〜5面>
画餅の「パートナーシップ戦略」
ユニラテラリズムのパウエル式弥縫


<2面>
自衛隊「イラク復興支援」の実態
シーア派爆殺謀略弾劾闘争(3・6 札幌)
派兵反対平和運動センター集会(2・20 金沢)

<6面>
「連合」春闘集会に戦闘的檄
3・6 東京/3・5 大阪
障害児教育の新自由主義的再編
Topics JAM労働貴族の本性

<7面>
人事院勧告の分析をめぐって
露わになったアメリカの狂牛病蔓延

<8面>
「鎮める神々」への祈り
岡野弘彦の短歌・旋頭歌によせて

<感想文>「協力の倫理と論理」を読んで

<3面>
万華鏡2004――情勢の断層を読む
◆中国式エンクロージャー
◆圧勝の光と影
◆衛星だのみ
◆山口―大分―京都

週間日誌〈世界の動き・日本の動き〉
「解放」最新号
 

































































    

  3・20世界一斉行動の戦闘的高揚を!


アメリカのイラク軍事占領反対!

日本国軍の出兵・軍政参加粉砕!

「テロ根絶」に唱和する既成指導部に抗して闘おう!



 三月十一日に、スペイン・マドリードで大規模な列車爆破事件が勃発し二〇〇名が死亡した。アスナール政権はただちに犯人を「バスク祖国と自由」(ETA)ときめつけ「反テロ」を煽りたてた。ところがブッシュ政権が「アルカーイダの犯行」とうちあげるとともに「アルカーイダの犯行声明」なるものが流された。この混乱からしても、この事件は、3・2謀略にかけた企みの破綻に焦ったブッシュ政権と「友邦同盟」国スペインのアスナール政権がイラク占領と「テロにたいする戦い」の正当性を煽りたてるために、スペイン総選挙直前に急きょ仕組んだ謀略と断定できる。
 一夜にしてスペインでは「反テロ」の世論が沸騰し、全国で一二〇〇万人がデモに参加した。だが、「反テロ」を叫ぶ民衆は、同時に「もともとイラクに派兵しているからこういうことが起きるんだ」と政府への反発を強め、もうこりごりだ、戦争はやめろ≠ニいう声をあげた。
 三月十四日の総選挙において、アスナール国民党は社会労働党に敗北した。社会労働党書記長サパテロは「イラクからの撤兵」を表明した(三月十五日)。3・11謀略にかけた両権力者の思惑もまた、一夜にして大破綻したのである。
 すべての諸君! 追いつめられたブッシュは、しかもイラク占領支配の破綻・ドロ沼化のゆえに大統領選での敗北必至のこの政権は、「反テロ」の気運を煽りイラク侵略戦争・占領支配を正当化するために、世界中でなおも謀略事件を仕組むにちがいない。警戒せよ!
 われわれは、米英軍によるイラク軍事占領・植民地支配の片棒をかつぐための日本国軍出兵・軍政参加を粉砕する闘いを、前へ前へおしすすめるのでなければならない。二月の北海道現地での激闘の地平にたち、3・20イラク侵略戦争の開戦一周年を期しての世界一斉行動の戦闘的高揚をかちとろう。

以下、見出し
雪原に「出兵阻止!」の雷鳴

ムスリムの反米反占領闘争の高揚と日本の反対運動

派兵容認に後退≠オた民主党中央

「テロ根絶のための貢献」を唱える日共官僚
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画餅の「パートナーシップ戦略」

ユニラテラリズムのパウエル式弥縫


 「ある種の評論家」たちはアメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュの戦略を「単独行動主義」のそれであり「先制攻撃戦略」だなどという。これはとんでもない「誤解」「曲解」であって、「彼らのホッブズ的な見方」を「われわれのジョン・ロック的な見方に置き換えて状況判断」しているからこそ、こうした間違いがうみだされるのだ。二〇〇二年九月二十日に発表されたブッシュ・ドクトリン、「国家安全保障戦略」(NSSと略)の核心は、何をかくそう、「パートナーシップ戦略」にほかならない――憤然とまた決然とこのように大見得を切るのは、アメリカ国務長官にして政権内「国際協調」派の頭目コリン・パウエルである。
 「ホッブズ的な見方」の持ち主とは、いうまでもなくイラク侵略戦争開戦時のブッシュ政権の開戦決定を主導し牛耳ってきた新保守主義者(ネオコン)たちにほかならない。フランス・ドイツなど「古い欧州」の権力者たちのイラク開戦反対論を「永久平和を夢想するカント主義」と嘲笑し、これにたいして「万人にたいする万人の闘争の場」として現実世界をとらえたトーマス・ホッブズの政治学を掲げ、単独行動主義(ユニラテラリズム)と・その軍事的貫徹としての「先制攻撃」の第一義性を高唱してきたのが、彼らなのであるから。
 ホッブズ信奉者のこのネオコン一派に、啓蒙思想の始祖であるジョン・ロックの思想を対置して神学論争≠さえ挑みながら、パウエルはNSSの「あるべき解釈」を対置している。イラク占領軍政の完全な破綻と、国際政治場面におけるアメリカ国家のまったき孤立を打開する役目を担ってきた彼は、前立腺癌の切除手術(二〇〇三年十二月)と時を同じくして一念発起し、東部エスタブリッシュメント系の代表的評論誌『フォーリン・アフェアーズ』二〇〇四年一―二月号に自署名論文を掲載したのだ。(邦訳は『論座』二月号。以下、同誌同号からの引用は頁数のみを記す。)
 「アメリカのパートナーシップ戦略」と題するこの論文の核心的な主張とそこに貫かれている考え方はどのようなものか? また、専制王ジェームスU世を放逐しスチュアート朝を存続させたまま立憲君主制を打ち樹てみずからの階級支配を確立した一六八八年のイギリス・ブルジョアジーの「名誉革命」、その哲学的指導者であるロックの名を、今このときにもちだしたことの政治的な意味は何か?

以下、章見出し
Tネオコン批判の沸点

Uブッシュ・ドクトリンの改釈

V「ソフト・パワー」論の密輸入

W「多国間協調主義」の必然的破産
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シーア派爆殺謀略弾劾闘争(3・6 札幌)

3月6日、わが同盟と全学連北海道地方共闘会議の学生は「シーア派
爆殺謀略弾劾!」を掲げ、札幌米総領事館への抗議闘争に決起した。
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「鎮める神々への祈り」

――岡野弘彦の短歌・旋頭歌によせて


桜花散るをあわれと

天地に頼むものなく

神々のよみがえった世紀に


 歌人・釈迢空(しゃくちょうくう)(折口信夫(しのぶ))の弟子でもあった岡野は、師の次のような考えを随所でくりかえし紹介している。
「アメリカ軍が南の島を一つ一つ攻略して、日本の本土に迫ってきた時、彼らはきっと十字軍が聖地回復の情熱を抱いてくり返し侵攻してきたのと同じ情熱を持って、この戦を進めているに相違ないと直感した。それに対して日本人は、ただ『神風が吹く、神風が吹く』というような他力本願な頼みを言うだけだった。つまり我々が負けたのは、彼等の神に我々の神が負け、彼らの宗教心に我々の宗教心が負けたのだ。いま日本人はそのことについての反省をしないで、ただ物量に負けたのだとか、科学の進歩に負けたのだとか、表面的な反省しか持っていない。これでは、半世紀のちの日本は危い。」(「テロと日本人と短歌」)
 このような考えをつきつめれば、国家神道の形に歪められるまえの原始神道を復活させようとする思想に行きつくであろう。折口信夫は、アマテラスを最高神とする国家神道の否定のうえに、「産霊」を創造主とする新たな神道を提唱した。とはいえ、歌人・釈迢空としては、それを歌に詠みこんだわけではなかった。折口の弟子である岡野があふれる歌の連作として、二十一世紀の世に送り出しはじめたのは、「五十年後の日本の危機」を体感したからにちがいない。この危機を彼に知らしめたものこそ、かの9・11事件にほかならなかった。
 犬死を強制されるほどの極限状態におかれた若者たちが真剣に考えないではいられなかった問題、国家や民族や世界、生死と人生といった大問題を、今の日本の若者は歯牙にもかけない。この精神的退廃と衰弱を、かのジハードに決起した若者たちは、たしかに照らしだしたのであった。
 岡野にかぎらず、太平洋戦争の少なからぬ体験者が、ニューヨークのWTCビルを崩落させた行為にたいして、心ひそかに、あるいは公然と拍手を送ったと告白している。これは戦争讃美であろうか。そうではあるまい。
 カミカゼと呼ばれた人たち。強制された自死を不本意ながらも受け入れ、日々おのれの死を凝視しないわけにはいかなかった人たちであればこそ、アッラーのための内発的な自死の姿を眼前にして、襟を正したにちがいないのだ。いや、戦争にかりだされた者なら、誰しもが、みずからの生命を放棄することの意味を、そしてその瞬間の心境を、生き残ったあとの人生の大半をかけて、無意識のうちに探求しつづけてきたにちがいないのである。9・11戦士の姿をまのあたりにした彼らが、自分の力では解決できなかった問題、何のために死ぬのかという問題が解決されている姿を見て、心を揺さぶられるのは当然であろう。
 たとえ、その後に大東亜戦争が侵略戦争にほかならないと知って反戦の立場にたった人であったとしても、おのれの生死をかけた戦争体験を人生のなかに位置づけるためには、戦争を対象的に理解するだけではなお決定的に足りないものが残るはずである。そのような魂の空隙に、かの9・11事件が火をともしたとしても、不思議はないのである。
 ただ、岡野は直接うけた衝撃そのものについては語らない。「米軍戦車のキャタピラの下に自爆する術のみ念じゐたりし日々の心、このごろつぶさによみがへり来て、身を焼くばかり忘じ難し」(「髯白む夜々」)とだけ、記している。9・11自爆攻撃に快哉を叫ぶよりも、敗戦直前の自己にこだわることの方を、彼は選ぶ。それは、ビンラディンが信ずる神のように強烈なものをもつことができなかった日本人の弱さへの内省とつながっている。
 歌をつうじて岡野が探求していること、それが、花鳥風月をめでてきた日本人の宗教心の向自化であるといえる。
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