第1787号(2003年9月29日)の内容
<1面>
反動攻撃を強化する小泉第二次改造内閣の打倒をめざして闘おう
「反北朝鮮」民族排外主義の鼓吹をテコとした国家総動員体制構築を許すな
<4面>
保守リベラリズムの絞殺
民主・自由「合併」の波紋
<5面>
試練に立つイラク・シーア派
アメリカ権力者の謀略テロ弾劾!
<2面>
米軍矢臼別演習阻止に決起
(9・4花咲港、9・14釧路)
国学院大学生総会で反戦決議(7・12)
◆国際反戦北陸集会に参加して
<3面>
共謀罪の新設を阻止せよ
早大名簿提供事件裁判に勝利
<6面>
「一自治体一共同」の破産に喘ぐダラ幹 「自治労連」第25回大会
Topics 鉄鋼産業で重大労災事故が続発
<7面>
深刻化する教育現場の諸矛盾
沖縄「中二殺害遺棄事件」の背景
<8面>
万華鏡2003――情勢の断層を読む
あの「学者坊や」が…
9・11事件二周年
眠れない夜
やまぬ「悪魔の飽食」
週間日誌〈世界の動き・日本の動き〉
「解放」最新号
反動攻撃を強化する小泉第二次改造内閣の 打倒をめざして闘おう 「反北朝鮮」民族排外主義の鼓吹をテコとした国家総動員体制構築を許すな 九月二十日におこなわれた自民党総裁選において、首相・小泉が過半数を制して再選された。十一月九日予定の衆院選を目前にして、自由・民主両党合併(十月五日)によって発足する新生「民主党」を圧するために、青木配下の参院橋本派や堀内派(宏池会)の大半が政策的対立を棚にあげて小泉支持に回ったことのゆえに、小泉の再選がもたらされた。このことからして、今回の総裁選は、自民党各派閥の分解的再編を必至とする、遺恨と怨念に満ちた新たな権力抗争の出発点となるにちがいない。 その内実はガタガタの小泉第二次改造内閣の前途には厚い暗雲がたれこめている。米英のイラク占領軍政の破綻と、この危機の突破をかけての戦争狂<uッシュ政権によるイラク派兵ならびに膨大な戦費負担の強要。北朝鮮の「核開発」問題をめぐる六ヵ国協議での、「拉致」問題に固執したがゆえの惨めな孤立。ますます露わとなっている長期大不況からの脱出不能。……こうした情勢のもとで、ガタガタ政権は、一段と低下した日本国家の国際的地位と威信をなんとしても回復するために、米英とのハーケンクロイツ同盟にもとづいてイラク派兵や対北朝鮮の戦争準備を遮二無二おしすすめると同時に、国家総動員体制を確立しうち固めることを企んで治安弾圧の強化や憲法改悪などのウルトラ反動攻勢を一気呵成にかけようとしている。まさにそのために、反「北朝鮮」の民族排外主義を一段と煽り立てようとしているのだ。 すべてのたたかう労働者・学生諸君! 今こそ小泉ガタガタ政権の一切の反動攻撃を阻止する闘いを、この反動政権の打倒をめざして断固として推進しようではないか! 以下、見出し 北朝鮮の「核開発」をめぐる六ヵ国の角逐 「北の脅威」の恣意的煽り立て 国家総動員体制構築・強化への突進 民族排外主義に唱和する既成左翼をのりこえて闘おう |
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保守リベラリズムの絞殺 ――今日版大政翼賛会の完成 九月二十日の自民党総裁選において、小泉純一郎が過半数を制し再選を果たした。長期大不況からの脱出を一向になしえていないにもかかわらず、「構造改革の断行」などというスリ切れきったボロ旗を今なお振りまわすだけの無能首相・小泉。この徒輩の再選という事態は、「経済大国」日本の無残なまでの没落と政治的混迷を象徴する茶番中の茶番であるといえる。「小泉打倒」を宣言した野中の乱≠フ挫折と自民党内最大派閥・橋本派の実質上の分裂とのゆえに、政府・支配階級内の新たな権力抗争を呼び起こす導火線に火がつけられたのだからである。 この自民党内の対立・抗争に色めきたち、政権奪取を夢みて蠢(うごめ)きだしているのが、合併を目前にしている民主党・自由党である。十月五日の民・由合併によって発足する新生「民主党」は、十一月九日投票予定の衆院選挙に向けて、すでに民・由両党間での候補者調整を終え態勢を整えている。では、この新生「民主党」は政権奪取を果たしうるほどの力を持っているのか?「保守二大政党制」への転換などという触れこみを現実に実現しうるほどのインパクトを持ちうるのか? 以下、章見出し T 民主・自由「合併」とその波紋 U 「強い日本」を前面に掲げた新党≠フ誕生 V 「保守二大政党制」の白日夢 |
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米軍矢臼別演習阻止に決起 (9・4花咲港、9・14釧路) |
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全学連北海道地方共闘会議のたたかう学生たちは、北海道矢臼別演習場において九月九日から約二週間にわたり強行されようとしていた在沖縄米海兵隊(第12海兵連隊第3大隊)の実弾砲撃演習を阻止する闘いに、九月四日と十四日に起ちあがった。 (左上)9月4日早朝、根室花咲港現地闘争に決起した全学連道共闘 (左下)9月14日、「連合北海道」主催の集会において、道共闘はたたかう労働者と固く連帯し奮闘 |
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国学院大学生総会で反戦決議(7・12) |
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国学院大学生総会(7月12日)において、「イラク派兵反対」の特別決議を採択 | |
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共謀罪の新設を阻止せよ! 「組織犯罪対策」の名による治安弾圧体制の一挙的強化を許すな 小泉内閣は、今臨時国会において、「共謀罪」の新設を強行しようとしている。国連「越境組織犯罪条約」を批准するために国内関連法を整備するという名目のもとに前通常国会に上程された「刑法等一部改正案」、その最大の柱が組織犯罪対策法の改定=「共謀罪」の新設にほかならない。先の通常国会においては武力攻撃法(有事三法)およびイラク特措法の制定に反対する労働者・学生・市民の闘いの一定程度の高揚のゆえに同改正案の実質審議を見送った小泉内閣は、今秋の臨時国会での法案成立をめざし、衆参両院での審議開始・強行採決を目論んでいるのだ。 「共謀罪」の規定では、「犯罪の実行行為」がなんら成立していなくとも、「罪」にあたる行為をおこなうと「共謀」しただけで犯罪と認定し重罰に処する(五年以下もしくは二年以下の懲役)、とされている。この前代未聞の弾圧法は、政府の諸政策に反対するすべての団体――たたかう労働組合・学生自治会・市民団体やわが革命的左翼をはじめとする左翼諸組織にたいして、その「団体の活動」を全面的に弾圧し、組織そのものを根絶やしにすることを目的とするものであり、悪らつな治安弾圧法にほかならない。そして権力者どもは、いま現在、この「共謀罪」の照準を、わが革命的左翼にたいして定めているのだ。 ムスリム人民の怒りの炎につつまれている米英のイラク占領軍。いまやその破綻があらわになっているこのイラク軍政に参加するために、小泉内閣は自衛隊のイラクへの派遣に突進している。ブッシュにつき従う戦争遂行内閣たる小泉内閣は、戦争のできる国≠ヨと飛躍するために、国内における治安弾圧体制を一挙に強化しようとしているのだ。われわれは「共謀罪」新設の策動を絶対に許してはならない。 以下、小見出し 実行行為がなくても「共謀」=合意だけで処罰 狙いはたたかう労組・学生自治会・左翼諸組織の破壊 |
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9・11事件二周年 「暴力をしずめる言葉」を語る作家の思い上がり 9・11事件から二年が過ぎた。おのれの心臓を射抜かれて逆上したブッシュのアメリカは、「非対称的戦争」と称してアフガニスタンに続いてイラクを蹂躙し、「地球を四周するほどのデモ津波」もこの戦争を阻止することはできなかった。平和の「言葉」が戦争狂の力によってねじ伏せられているこの現実を、われわれはどのようにこじあけてゆくべきなのか。 ところが、ものごとをまったく逆に考える者もいる。9・11事件二周年にさいして発言した数少ない文化人である大江健三郎がその一例で、九月十一日付「朝日新聞」夕刊「文化」欄に彼は次のような文章を寄せた。 「『9・11』が現した文化の転回点での、人間らしい選択への呼びかけがあります。」「『9・11』に私らをとらえた沈黙、考える言葉に向けてそれぞれにした手探り。」「あの時、世界じゅうの人間の心が一致したとすれば、暴力をしずめる言葉を作り出すことこそ文化だったという、苦しい反省ではなかったでしょうか?」 ここで言う「暴力をしずめる言葉」とは、「声に出す言葉」、たとえばスローガンとは別の「黙って考えながら読む言葉」をさすらしい。「声に出す言葉」が対抗的な言葉だとすれば、「沈黙の言葉」とは非対抗的な言葉、具体的には「広島と長崎からの言葉」であるらしい。ということは、要するに報復しないという思想こそが重要だ、と言いたいのであるらしい。これだけのことを言うのに、イラク侵略反対の一言も言わず、もって回った言いまわしで人を混乱させるのが、ノーベル賞作家というものであるらしい。 9・11事件に大江じしんが言葉を失うほどの衝撃を受けたことを「沈黙」と表現するのは自由だ。しかし、それを「考える言葉に向けてそれぞれにした手探り」と言いかえるならば、「考える言葉」というコタエから「沈黙」を結果解釈することになる。なお悪いことには、大江じしんの結果解釈を人格の異なる多くの他者に投射して、同じ結論へ向かうはずの「それぞれの手探り」なるものを、尊大にも想定することになる。あげくの果てが、「あの時、世界じゅうの人間の心が一致した」などと言う。大きなお世話である。 あの瞬間、世界中の人間の心は一致などしなかった。もっとも大ざっぱにふり分けるとしても、反発する心と共鳴する心とに引き裂かれたはずなのである。 「暴力をしずめる言葉こそ文化」という結論を、大江は絶対の真理であるかのように語る。けれども、本当にそうなのか? 9・11事件がつきだしたことは「暴力をしずめる言葉」なるものの欺瞞だったのではないか。 オサマ・ビンラディンはテロルの行使に先立って、何度も警告を発していた。「戦争や侵略を止められないことについて申しわけないと言ってくれるのは有難い。しかしそれだけでは決定的に不十分なのだ」と。現実にくりかえされている殺戮行為にたいして身体をもって立ちはだかろうとしない言葉だけの「平和」、そのようなものはもはや聞くに耐えないという絶対批判の声をこそ、われわれは9・11事件から聴きとるべきなのである。 もちろん、われわれはテロリズムを肯定しない。それは世界を変革しうるという確信のゆえである。しかしこの確信は、たんに「言葉」のうえだけのそれであってはならず、必ずや「行い」をもって示さなければならないはずのものだ。みずからの身体をバラバラにしてまでも信念をつらぬこうとした殉教者の「行い」を受けとめたとき、われわれはこのことを全身で感覚したのである。 <変革の哲学>を立脚点とするわれわれは、この哲学のかけがえのない価値を、身体的感情をもって向自化した。この意味において、9・11事件はわれわれにとって、わが力のいたらなさを思いしらされるという以上に、汲めども尽くせぬ闘志をかきたてられる永遠の事件である。 |
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