第1684号 (2001年9月10日)の内容
<1面>
自衛隊の治安出動訓練阻止の火柱 9・1「防災デー」
全学連 反戦青年委 八王子・調布・横田で現地決起
日米両軍共同の「有事」演習に痛打
石原がいる八王子駅前会場を労学の怒りが直撃
<4面〜5面>
スパイの巣窟=ブクロ派を打ち砕け
ブクロ=中核派の頭目・清水丈夫が、ブクロ派がスパイの巣窟であることを自己暴露
<2面>
ルポ ビッグレスキュー2001
「防災」とは名ばかり! 自衛隊「有事」訓練の実態
<3面>
8・5国際反戦集会 九州集会/北陸集会
小泉の靖国公式参拝に鹿大生が抗議
<6面>
Topics 電機独占体の大リストラ
全国初―警察官が「道徳」授業!
淘汰される中小牛乳メーカー
<8面>
参院選惨敗で動転する日共指導部の悪アガキ
<7面>
万華鏡2001――情勢の断層を読む
人道主義的民族浄化
珍奇な負け惜しみ
無意識過剰
こいつも「改革ファイアー」?
週間日誌〈世界の動き・日本の動き〉
解放最新号
自衛隊の治安出動訓練阻止の火柱 9・1「防災デー」 全学連 反戦青年委 八王子・調布・横田で現地決起 日米両軍共同の「有事」演習に痛打 九月一日、首都圏の全学連のたたかう学生と反戦青年委員会に結集する戦闘的・革命的労働者は、米軍の全面的協力のもとに小泉政権と石原都当局が強行しようとしていた「防災」に名を借りた自衛隊の治安出動訓練を阻止する八王子・調布・横田基地現地闘争に勇躍決起した。 「ビッグ・レスキュー東京2001〜首都を救え」と称する今回の演習は、首相・内閣官房の一元的統括のもとに、自衛隊員二〇〇〇人を中核的実体として、その指揮のもとに一万五○○○人もの労働者・住民・高校生を動員するだけではなく、訓練会場に米軍の横田基地や米軍赤坂プレスセンターをも使用して強行されようとしていた。まさにそれは、新ガイドラインにもとづく日米共同の侵略戦争遂行体制の構築とそのための今日版国家総動員体制の構築・強化を核心的目的としたものにほかならない。 けれども、政府権力者が、明らかに戦争準備の一環として「有事」演習を強行しようとしているにもかかわらず、既成反対運動指導部はあまりにも無様な姿をさらけだしていたのだ。日共の不破=志位指導部は、今回の演習について、もっぱら自衛隊が「突出」しているという観点から問題にし、住民や市民主体の「真の防災訓練」を要求していたにすぎない。いや、あろうことか、「大規模災害」時の自衛隊の活用や、米軍横田基地の使用を公然と容認してさえいたのが、かの代々木共産党指導部なのである。そして、「連合」指導部は、組合員の訓練への参加を「ボランティア活動」であるとして尻押ししているありさまであったのだ。 たたかう労働者・学生は、このような既成指導部翼下の反対運動をのりこえるかたちにおいて、「防災訓練」という名の自衛隊の治安出動訓練を阻止する闘いを、<日米共同の侵略戦争遂行体制の構築反対! 今日版国家総動員体制の構築反対!>を掲げて、<ネオ・ファシズム的反動化阻止>の方向性を鮮明にしてたたかいぬいたのだ。
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今日版の国家総動員体制構築を許すな 9・1防災訓練ルポ 「防災」とは名ばかりの軍事演習! これが米軍と共同した自衛隊「有事」訓練の実態だ 迷彩服姿の自衛隊員を乗せた装甲車が街を制圧し、頭上にはヘリコプターや対潜哨戒機が飛び回る。……「防災デー」と称する九月一日、全国とりわけ首都圏では、文字通り「防災」に名を借りた自衛隊の治安出動訓練が、しかも米軍との「有事」における共同作戦行動をも想定しての訓練が、大々的に強行された。 実際、首相・小泉は、「やっぱり平時が大切だ」などと「訓練」の意義≠おしだしている。まさに、日米共同で「平時」から「有事」体制を整備すること、これこそが今回の訓練にかけた政府権力者の狙いにほかならない。 以下、数多くの「防災」訓練のうち、八王子駅、多摩川河川敷、川崎市での模様を報告しよう。〔一面に全学連・反戦の闘争報告〕 八王子駅 自衛隊装甲車が駅前を制圧 「電車事故救助」訓練JR労働者をも動員
午前九時十分、地震による地鳴りの音を合図に、JR八王子駅前ロータリー一帯での「防災訓練」がはじまった。 サイレンを鳴り響かせ消防庁と警視庁の大型車両が一団となって駅前に集結する。駅真向いの高層ビルである東急スクエアと駅側のそごうビルには大型消防車の梯子があいついでかけられ、同時にそれぞれのビルの屋上からは消防庁と警視庁の特殊部隊がロープを使って降下してくる。 上空には自衛隊の大型双発ヘリと消防庁の赤ヘリがホバリングし、消防庁のヘリから特殊部隊員一名がロープを使ってスクエアビルのヘリポートに降りたった。 このとき駅前の路上に十数台の装甲車に分乗した陸上自衛隊東部方面隊(練馬駐屯地所属)が突如として現れ、「被害状況調査」の名のもとにロータリー一帯を完全に制圧した。防衛庁中枢に直結する通信を確保するために小型の衛星通信機器を使って路上に通信拠点を設置する者、避難誘導を名目にして路地の要所要所に陣取る者、明らかにこの部隊は、現場の治安・連絡部隊として駅前ロータリーに配備されているのだ。思わず「訓練」を見守っていた市民がつぶやいた。「まるで自衛隊の軍事演習だなあ」と。 「電車事故救助」訓練視察を最優先した石原
この駅前ロータリーでの訓練開始と同時に、JR八王子駅構内の引き込み線では、「電車事故救助訓練」なるものがおこなわれた。これは、線路脇の金網のフェンスを電動カッターで切断して三両の客車に閉じこめられた乗客を救助し、また脱線した燃料タンク車の火災を消火して脱線車両を修復するという訓練である。練馬の連隊に所属する自
だからこそ都知事・石原は、JR八王子駅前に着くや予定を急きょ変更して、真っ先にこの現場の視察にあらわれたのだ。隊長の指揮のもとにヘルメット・迷彩服に身を固めた自衛隊員が車両からけが人を運び出し自衛隊のテント内に収容する光景は、有事における鉄道移動中の部隊救出作戦をも彷彿とさせてあまりある。この自衛隊の実働訓練を視察して、石原は得意満面の様子で、訓練現場をあとにした。 治安出動訓練阻止!」全学連が石原を弾劾
今回JR八王子駅前で実施された訓練は、「防災」をうたってはいるものの、その内実は、自衛隊を基軸として自衛隊・警察・消防が一体となって「有事」に対応するための実働訓練そのものにほかならない。一つひとつの訓練をこの目で見て、あらためてそう確信した。 多摩川河川敷 なぜ渡河訓練にP3Cが! 米軍と連動して野戦医療訓練も
川崎市 海上自衛隊艦艇が埠頭に集結 小泉「視察」下で「有事」演習
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断末魔のスパイの巣窟=残存ブクロ派を打ち砕け! 日本国家権力ならびにアメリカ中央情報局(CIA)の手先どもに骨の髄までしゃぶり尽くされ操られてスパイ分子の巣窟と化した残存ブクロ派の正体を、ほかならぬスパイ集団=残存ブクロ官僚の頭目たるシミタケこと清水丈夫は、ついに自己暴露するにおよんだ。わが同盟の闘いに追いつめられ臨終を迎えた残存ブクロ派が、まさにそれゆえに日本国家権力内謀略グループから使い捨てにされるにいたったことを告知され、驚天動地のパニックにおちいりながら自己保身の妄執に駆られたからにほかならない。まさにスパイ集団たる己れの正体を恥も外聞もなく「前進」紙上で自己暴露した断末魔のブクロ=中核派にたいして、われわれは最後の追撃を断固として推進し完全に打ち砕くことを宣言する! 一九七〇年以降のわが同盟のブクロ派解体の闘いに完敗したあげくの果てに権力内謀略グループによる謀略殺人襲撃の追認集団=国家権力の走狗に転落したブクロ派の正体を、わが同盟は全社会的に暴露しつくしてきた。このことを知りながらも、この走狗集団の醜悪な延命策動に加担してきたすべての自称文化人・知識人たちをも糾弾し、今秋の大衆運動のまっただなかにおいて、権力に見放され壊滅寸前の残存ブクロ派を組織的に解体しつくすための闘いを、われわれは断固として推進するであろう。 「前進」第二〇一九号(九月三日付)の第四面に掲載された無署名の論文(「小野田襄二、小野田猛史、三島浩司および宮崎学が関与した公安調査庁スパイ事件に対する革共同の態度と闘いのアピール」なるもの)は、走狗集団ブクロ派の断末魔のあがき以外のなにものでもない。スパイ通信たる「前進」第二〇一七号(八月十三日付「夏季特別号」)の二つの「政治局」署名の論文などは、残存ブクロ派組織が日本国家権力内謀略グループのみならず同時にアメリカ帝国主義・CIAのヒモツキ分子に操られスパイ分子の巣窟と化していることを組織の内外に隠蔽するための、姑息な煙幕にすぎないのだ。 実際、この二つの「政治局」論文を残存ブクロ官僚どもが執筆した時点ですでに、彼らが「前進」第二〇一九号に掲載した無署名論文において告白しているような内容、すなわちブクロ派がスパイ分子の巣窟となっているという決定的事態を示すことがらなどは、日本国家権力ならびにCIAの側から・そのヒモツキ分子を使って先制的に暴露されていたではないか。すなわち、まず、四月三十日発刊の『公安アンダーワールド』において、そしてさらにその追撃として・ブクロ派脱落の真正スパイ小西誠を使った八月二十日発刊の『公安調査庁スパイ工作集』において。それにもかかわらず、この二つの「政治局」署名の論文では、この国家権力ならびにCIA側からの暴露についてまったく言及していないのだ。いや、第二〇一九号無署名論文においても、『公安調査庁スパイ工作集』での暴露については、意図的に言及していないのだ。 まさしく右のことは、残存ブクロ派の「議長」を僭称する清水丈夫(シミタケ)自身が、老衰しきって頭が動かなくなっているだけではなく、一大パニックにおちいり錯乱の淵にたたき込まれながら、ただただ自己保身に窮々としているからなのである。とりわけ、九四年三月に山村=白井朗を最後的に追放したシミタケが眼底出血のゆえに入院したさいに、ほかならぬ「キツネ目の男」=宮崎学の世話になったという事実を、なんとか隠蔽したいという自己保身にとりつかれているからなのだ。だが、もともと日本国家権力のスパイ分子としてのシミタケが、CIAのエージェントたる宮崎の懐に抱きかかえられるにいたった醜悪な姿こそは、まさにスパイ集団の末期を象徴してあまりあるというものではないか。 すべてのたたかう労働者・学生・知識人諸君! 一九七〇年から今日まで、ブクロ派の殺人襲撃と日本国家権力内の謀略グループによる謀略襲撃によって、われわれは七十八名もの同志・仲間たちの貴い命を奪われ、数多の仲間を傷つけられた。この悔しさと無念さをいまこそ思い返し、志半ばで斃れた彼らの無念を晴らすためにも、スパイ集団として権力に操られながら今や使い捨てられようとしている最末期のブクロ派を最後的に解体せよ! 日本国家権力ならびにアメリカ帝国主義・CIAの数多の謀略・走狗利用工作を暴きだしつつ、彼らの新たな策動を断固として打ち砕け! 一、総スパイ化の自白 スパイ宮崎に操られた「実態」の自己暴露 グリコ・森永事件(八四年三月〜八五年八月)の「時効」とともに「キツネ目の男」として警察権力にマーク≠ウれていたことを逆手にとって、マスコミや諸雑派が展開する大衆運動の表層に姿をあらわしはじめた宮崎学。誰の目にもCIAのエージェントであることは明白なこの宮崎に、日本国家権力内謀略グループの走狗となってきたブクロ派が一九九四年から完全に侵食されてきたことを、残存ブクロ官僚シミタケはスパイ通信第二〇一九号の無署名論文で恥ずかしげもなく公表するにおよんだ。〔その醜悪きわまりなく犯罪的な内容については、別掲@を見よ。〕 残存ブクロ派のシミタケが自己保身にとりつかれながら自己暴露した樋口(公安調査庁調査官―当時)・宮崎の対ブクロ派「スパイ工作」こそは、まさに、CIAおよびCIAにより背後から動かされている日本国家権力の両方の手先となって延命し蠢いてきたスパイ集団・ブクロ派が、いまや組織の上から下まで「左翼」の仮面をかぶった権力の別働隊としてスパイ分子の巣窟と化しているおぞましい実態を、白日のもとにさらけだすものではないか。 この自己暴露の最大の特徴は、一九九四年三月に「前進」編集長・白井朗(山村克)を「非合法・非公然の重圧への屈服」を口実にブクロ派組織から最後的に追放したシミタケが、「眼底出血」のために倒れたさいに、ほかでもない「独特の経歴とスタンスを取る宮崎」に幻惑され、「病気療養」のための非公然アジトの提供を受けていたという決定的事実を、「ある同志……」と称しつつも、自白せざるをえなかった、ということにほかならない。国家権力のスパイ分子としてのシミタケが、CIAのエージェントである宮崎学の懐に抱きかかえられているという様は、まさにわが同盟に解体され臨終目前に至った最末期のブクロ派を象徴して余りあるといわなければならない。 そもそも、「キツネ目の男」に「〔中核派の〕非公然政治局員の居住アジトを十ヵ所ほど調達してやった」(「樋口報告書」の原本『公安調査庁スパイ工作集』社会批評社刊参照)と公然と暴露されたにもかかわらず、いまさらながら「たとえ病気療養のためであっても、このような形をとった革命党幹部への住居の提供の事実を……職業的なスパイである三島に漏らすことは、最悪の場合は生命にかかわる問題であり、階級的・人間的信義に反することであって、とうてい許されない」などと泣きごとを並べたてていることは、きわめて滑稽ではないか。しかも、この一文の数行前では、「宮崎は、ある同志の病気療養のための場所を提供したことがあるが、その提供が終わった後にその件を三島に話した」として、いわば事後的に「非公然アジト」を宮崎によって公安調査庁にバラされたので、実害はなかった≠ゥのように装っていながら、その直後の文で「最悪の場合は生命にかかわる問題」などと矛盾したことを喚いていることにすら気がつかないほど、シミタケは老衰し錯乱しているのだ。 そもそも、「キツネ目の男」に提供された最高指導部の秘密アジトが権力に売られた、という重大な問題について、右のような矛盾したことを口走るということは、シミタケを先頭にして彼らの「非公然・非合法アジト」が「その提供が終わった後」に国家権力・公安調査庁に漏らされたのではなく、現に使用している最中に売られた、ということにシミタケら残存ブクロ官僚どもがいかにショックを受け怯えているかを自己暴露したものにほかならない。だが、このことは、ブクロ官僚の・シミタケらの残り少なくなった「非公然指導部」が、こともあろうに国家権力の手の平の上で・それに庇護されて「組織生活」を送っていた、ということの自白以外のなにものでもないではないか。〔どだい、シミタケ自身が権力のスパイであるからこそ、宮崎に世話をしてもらった「アジト」に住むことができるのだ。〕 樋口「原本」で暴露された諸事実の隠蔽 それだけではない。四月三十日に発行された『公安アンダーワールド』の「序章」では、CIAおよび公安調査庁のスパイである宮崎と、この宮崎にブクロ派の組織内情報を売り渡していたブクロ派の「政治局員」の名はすべて伏せられていたのであるが、しかし、この伏せられている名前がすべて明記されている「原本」をブクロ官僚どもがすでに四月時点で入手していたのだ(自分で告白しているように)。いや、さらに、この樋口「原本」をそのまま表化した『公安調査庁スパイ工作集』(社会批評社)が八月二十日付で(実際はすでに八月十八日には都内の書店に並べられた)発刊されたのだ。まさにこの決定的な事態にショックをうけ、だからこそこの公調と宮崎のスパイ工作について自己暴露せざるをえなくなったにもかかわらず、スパイ通信第二〇一九号の無署名論文においてもなお、かの「原本」で明らかにされている諸事実をなんとか隠蔽しようとあがいているのがシミタケなのだ。(別掲Aを見よ) 実際、いわゆる「原本」では、宮崎が公調に売り渡したとされている「諸事実」が膨大に暴露されている。とりわけ、残存ブクロ官僚の金山や高木などにたいして宮崎が不断に大口の「カンパ」をしつづけ、とくに九二年には一二〇〇万円もの「カンパ」をおこなったこと。また、宮崎が、ブクロ派の「非公然幹部」用の「アジト」を十回にわたって提供してきたこと。これらの由々しい事実が暴露されているにもかかわらず、これらの一つひとつについて、何の反論もせず、いやできないのが、残存ブクロ官僚の頭目・シミタケなのである。 シミタケよ! 「日帝権力・公調は、われわれのこの対宮崎関係の弱点を突いて、革共同への重大な組織破壊攻撃をかけてきていた」とか、「樋口報告書に記載されている事柄は、事実の捏造や歪曲、あるいは誤認が多く、虚構性がきわめて強い」とかと負け犬の遠吠えのように叫ぶのではなく、堂々≠ニ否定してみせたらどうだ。いやいや、そんなことはできるはずもないだろう。「原本」で暴露されている「諸事実」を何ひとつ否定できないことこそ、国家権力の総スパイ集団と化した残存ブクロ派の正体を自己暴露するものではないか。 二、スパイ集団による真正スパイ宮崎査問≠フ茶番 わが同盟は、とうの昔に、「キツネ目の男」こと宮崎学が、まぎれもない権力のスパイであり、CIAのエージェントであることを暴露してきた(本誌第一五六一号、九九年三月二十日付参照)。ところが、こともあろうに、この宮崎学を、組織犯罪対策法反対や「日の丸・君が代」法反対などの大衆集会の指揮者≠ニして登場させ、この男の「反体制」の仮象を活用して労働者・学生・市民の反対運動を日本国家権力およびCIAの管理統制のもとにからめとらせるという、まさに前代未聞の悪業をおこなってきたのが残存ブクロ官僚どもなのである。このブクロ官僚どもは、今頃になって、二〇〇一年五月から八月上旬まで、宮崎学を査問した≠ニ称している。だが、この「キツネ目男」にブクロ官僚ども自身と残存走狗集団ブクロ派総体の首根っこも急所も握られていることのゆえに、実際には、この男を追及することも、また追放することもできないのがシミタケ指導部なのである。 日本国家権力とCIAの手先から「カンパ」と称して闘争資金をもらい、ブクロ派の「非公然政治局員のアジト」の提供をうけ、国家権力の走狗の正体をおし隠すための「大衆的政治闘争」のシンボル的人間としてかつぎ上げてきた宮崎学を、残存ブクロ官僚どもが査問≠キることができないことなどは、誰の目にも明らかではないか。だが、それにしても、査問≠ナきなかったということを、はしなくもスパイ通信紙上で自己暴露してしまうという政治的センス≠フ無さをもさらけださざるをえないことが、断末魔の残存ブクロ派を象徴している事態でもあるのだ。 実際、『公安アンダーワールド』の「序章」およびその「原本」を一読すれば、「キツネ目男」が公安調査庁東北公安調査局(当時)の樋口に、ブクロ派の組織内情報を売り渡しつづけてきたことが歴然としているにもかかわらず、この「五月以来、宮崎と真剣な討論をおこなってきた」とは? しかも、この男に「自己の〔宮崎の〕スパイ行為に関して真摯な自己批判が必要であることを繰り返し厳しく批判してきた」というのだから、まったくお笑い草ではないか。 そもそも、インターネット上でもすでに五月初めから「中核の内部情報を公安調査庁に売った『反権力の大物文化人』というのが、宮崎学」とされ、名指しされた宮崎自身もまた「まあ、スパイなんちゅうのはいたるところでおるよ。……そんなもんがちょっとはおるようでないと健全なサヨク運動とはいえない」などと平然と居直りを決め込んでいたにもかかわらず、このスパイ宮崎に、残存ブクロ官僚どもは悠長にも「真摯な自己批判」を求めていたというのだから、これぞ抱腹絶倒のお話しではないか。 それだけではない。CIAのエージェントであることが明々白々となり、それゆえに「運動圏」から「制度圏」へと舞い戻るために、七月一日には、いわゆる白川新党(「新党・自由と希望」)から宮崎が参議院選挙に出馬することを表明した時点においてもなお、「革共同は、出馬を断念することを説得した」というわけなのだ。いうまでもなく白川勝彦は、自治大臣・国家公安委員長(九六年十一月〜九八年七月)を経験し、それゆえに組織犯罪対策法の制定によって階級闘争の破壊をねらう警察権力を統括する責任者として・組対法制定の準備をおこなっていた権力者の一員であった。たとえ、昨年秋に加藤の乱&s発を機に自民党を離党したとはいえ、国家公安委員長として、この希代の悪法=組対法を成立させようとした当時の政策責任者なのである。この白川を党首とした「新党・自由と希望」から立候補を表明している「キツネ目男」に、七月中旬の段階でなお、のほほんと「説得」をくりかえしていることは、宮崎を査問≠オたと称しているブクロ官僚どもこそが、その階級的立場において宮崎となんら変わらないことを自己暴露しているものでしかないのだ。 八月五日には、ブント・日向派の「二〇〇一年サマー・グラン・ワークショップ」(三宅坂ホール)の第二部の「バトルトーク」で、宮崎は公安調査庁の樋口に会ったという事実を認めつつ、「政治的道義性といえば、私は清くも正しくもない、ということはとうの昔にカミングアウトしている」と居直ったのであった。(インターネットのサイトでも宮崎は同じ居直りを繰り返している。また日向派はすでに宮崎が公安調査庁のスパイとして暴露されているただなかで、この男を集会で発言させたということは、日向派が権力の走狗集団であることを自認したということを意味する。)にもかかわらず、残存ブクロ派は、まったくオメデタクも、「八月上旬」の時点でようやく宮崎に「関係の決別を通告」したのだそうだ。 ブクロ官僚どもにとって、スパイ宮崎は、反革命スパイ分子としてその階級的犯罪行為を徹底的に暴露して追放するべき対象ではなく、なんと驚くべきことに「関係の決別」の対象にすぎない、というわけなのである。権力のスパイにたいしてなんと寛大な「革命党」であろうか。「レーニン主義の党建設」が聞いてあきれるというものだ。 そもそも、四月三十日に『公安アンダーワールド』が発刊され、それと同時に、この本の「序章」で伏せ字≠ナ暴露されていることが実はブクロ派の金山らがスパイ宮崎と繋がっているという決定的事実を示すものであることを暴露されながらも、ブクロ官僚どもが四ヵ月後の「八月上旬」まで「党として宮崎自身の思想問題にまで深めた自己批判」を要求したと称しているところに、宮崎と同類のスパイ分子の集団としての本質が露出しているではないか。まさに権力のスパイとしての清水とCIAのスパイとしての宮崎とは目クソ鼻クソの仲なのである。 三、走狗集団の使い捨て≠ノ着手した国家権力 暴露されたブクロ官僚総スパイ化の実相 それにしても、すでに四月三十日に、『公安アンダーワールド』という、党派名や個人名を伏せ字にして、しかし、読む人間が読めば事実上ブクロ派のスパイ問題の暴露であることが即座にわかる本が発刊されているにもかかわらず、シミタケが今頃になって八月二十七日発行のスパイ通信で「公安調査庁スパイ事件にたいする革共同の態度と闘いのアピール」なるものを公表したのはなぜか? いうまでもなくそれは、八月二十日付で(八月十八日には都内の書店に並べられた)社会批評社から『公安調査庁スパイ工作集』という単行本が発行されたからなのである。この暴露本の発刊に直面させられ、スパイ集団ブクロ派を最後的に使い捨てにするという国家権力ならびにCIAの意図を思い知らされ、まさに驚天動地のパニックに叩きこまれ錯乱におちいりながら・なお自己保身の妄執に駆られたからにほかならない。実際、この本では、『公安アンダーワールド』では伏せ字になっていた氏名が、すべて実名で暴露されている。そこでは、九五年二月二十一日付の公安調査官・樋口が作成した「工作の経過及び顛末」と、その末尾に添付されている「報告書」がそっくりそのまま暴露されており、弁護士の三島浩司(旧姓・山本、元青解派で六五〜六年当時の「三派都学連委員長」)を「仲介人」として公安調査官・樋口と会った宮崎が、九〇年代初めから残存ブクロ派の「政治局員」たちとの直接的な接触によってつくりあげてきた関係を誇らしげに語った、という事態が開陳されているのだ。そこでは次のように描写されている。 「十年前(八五年)に、若松孝二の紹介で」会い、それ以後、「必要に応じて月に一〜二回」の割で会っている金山克巳。 スパイ宮崎から、一二〇〇万円を借りるために、「自分は政治局員で革共同の財政責任者だ」と称して宮崎の前にノコノコとあらわれた高木徹。 三島浩司が「三派都学連委員長」で、この三島と二人三脚で「三派都学連書記長」をやっていたという誼みもあってか、三島に「今の中核派の中では一番親しくつきあっている」が、「お人好しで一生懸命だが政治をやるタイプではない」(「工作の経過」九四年六月二十三日付)と評されている吉羽忠。 早大の出身者(三島は政経学部、宮崎は法学部)という「誼み」で会い、三島に「堂々としていて大きな人間になった」(同右)とおだてあげられている水谷保孝(早大政経)。 そして、「一生懸命だけがとりえで、その時々の路線に真っ先に従いやってのける。それで全く悩みが生じないおおらかさがある」(同右)と、その人格的特徴すら三島に見透かされ、公安調査庁に報告されている小野正春。 これこそ、残存ブクロ派の「政治局員」どものすべてが、公調のスパイ三島や宮崎と直接に接触し、ブクロ派の組織の内情を自己暴露することの代償として、「カンパ」と称して現金を受けとって生活しているということを、あけすけに暴露したものではないか。スパイ通信紙上では「苦しい生活の中ですが、ぜひ絶大なカンパを寄せてください」などと猫なで声で呼びかけながら、内部では残り少ない下部同盟員たちにたいして生活を切りつめてでも「カンパを寄せろ」と恫喝しているにもかかわらず、官僚どもは、権力のスパイ分子と都内の高級ホテルで密会≠くりかえしていた、というわけだ。 もっとも、スパイ集団の形のうえでの頭目であるシミタケが、三島や宮崎と、あるいは樋口と会ったという事実は直接的に暴露されているわけではない。けれども、金山らの「政治局員」を介して、いつでも接触≠ナきるということは、この『公安調査庁スパイ工作集』で事実上暴露されている。そして、シミタケらの「非公然幹部」の「アジト」を提供され、公安調査庁がこのアジトを「ウオッチング」するのであれば「設定」時にあらかじめ公安調査庁に教える、と宮崎が語っていることからしても、シミタケ自身が権力に抱きかかえられ庇護されていた、ということが暴露されるということは予想されることなのだ。ことここにおいて、みずからが国家権力のスパイとして使い捨てにされる命運を嗅ぎとったからこそ、シミタケはパニックにおちいらざるをえなかったわけなのである。 ブクロ派脱落分子を活用した策動 それだけではない。残存ブクロ派の「政治局員」どもが、軒並み権力のスパイとなっていることを暴露したこの『公安調査庁スパイ工作集』という本は、ほかならぬブクロ派から脱落した小西誠・白井朗らの元「指導部」どもの巣窟となっている社会批評社から出版されたのである。このことは、米CIAを後ろ盾としている日本国家権力内謀略グループが、スパイの巣窟と化した正体をわが同盟によって完璧に暴きだされ最期的崩壊寸前の残存ブクロ派を、それゆえにすでに使い物にならなくなった組織として処分するために、かつてのブクロ派「指導部」の一員であり・いまや公安調査庁の「マル秘文書」をそのまま発表することを生業としている真正スパイ分子たる小西や白井を使いだしたということにほかならない。スパイの巣窟と化した残存ブクロ派の実態と正体が、今ではスパイ稼業を売り物にしているかつてのブクロ官僚どもによって暴露されるという、実に滑稽な・だが醜悪にして絶対に許し難いドタバタ劇が、いままさにくりひろげられているのだ。 この厳然たる事実を下部同盟員たちに隠蔽するために、スパイ・シミタケは、ブクロ派の残存「政治局員」の名前がほとんど実名で列挙され、この「政治局員」どもが真正スパイから金をもらい、組織内情報を売り渡し、権力の庇護のもとでのうのうと生きているぶざまな姿が克明に暴露されている『公安調査庁スパイ工作集』について、まったく言及しなかったのだ。もとよりそれは、この本で暴露されている諸事態が紛れもない正真正銘の事実であるがゆえに、「反論」などは及びもつかないからであるのはいうまでもない。 〔これまで宮崎とともにブクロ官僚一派の大衆運動づくり≠フ表看板としてうごめいてきた文化人たち。宮崎とならぶブクロ官僚の手先としてふるまってきた佐高信や小田原紀雄、そして彼らをツイタテにしてブクロ官僚に利用されてきた海渡雄一、福島瑞穂、山中幸男、辛淑玉ら。これらの輩はスパイ宮崎に同調することによって走狗集団ブクロ派の別働隊としての役割を演じてきたのであって、彼らのすべてはみずからの忌まわしい過去について自己の意見を公然と表明すべきである。彼らのすべては、崩壊寸前のスパイ集団ブクロ派に塩を送ったという犯罪を犯したことについて、労働者・人民の前に釈明を公表すべきである。〕 四、残存ブクロ派の根絶に向け最後の一撃を加えよ! もはや明らかではないか。一九七〇年代中葉から、わが同盟がつとに的確に暴露してきたことが、スパイ通信第二〇一九号の無署名論文によって逆証されたのだ。 一九七四年六月以降、われわれのブクロ派解体のための党派闘争に完全に敗北したブクロ=中核派が、この完敗によって生みだされた党的危機をのりきるために、あろうことか国家権力の懐に飛び込み、権力内謀略グループの謀略殺人襲撃を追認する権力の走狗にまで転落し変質してきたことを、わが同盟は現実の事実と論証をもって暴きだし全社会的に明らかにしてきた。それにもかかわらず、この走狗集団が四半世紀にわたってわが同盟の謀略粉砕・走狗解体の闘いの断固たる推進によって・もはや組織の体をなさない潰滅的危機におちいり崩壊寸前に立ち至ったとはいえ辛うじて延命してきたのは、日本国家権力内謀略グループならびにその背後で暗躍してきたCIAの助けによってのみ可能であったことが、今や公然と明るみにだされたのである。 実に、組織としては基本的に崩壊しているにもかかわらず、彼らが細ぼそと延命を続けてこられたのは、謀略虐殺襲撃追認・走狗集団ブクロ派がこの日本国家権力内謀略グループとCIAの二つの力によって支えられてきたからなのだ。このことがスパイ通信第二〇一九号の無署名の駄文=キツネ目男への屈服≠フシミタケ自身による公然たる自己暴露によって、いまや実証されたのだ。まさにこのことこそは、もはや国家権力のスパイ集団としては使い捨てにされようとしていることに直面させられ、パニックにおちいった断末魔の走狗集団ブクロ派を象徴するものにほかならない。 すでに一九九八年四月二十七日に金沢市内のホテルで「自殺未遂」を引き起こし国家権力の懐に回収された元「前進」編集長の白井朗(山村克)が、正真正銘の権力のスパイであることを自認するようなパンフレットを翌九九年七月以降に連続的に発行してきた。これを、権力内謀略グループとCIAがスパイ集団ブクロ派を使い捨てにする意図にもとづいて打ちあげたブクロ派の組織内情報の暴露の第一弾とするならば、今回の公安調査庁のスパイ三島・宮崎を介してのブクロ派にたいするスパイ工作の暴露は、その第二弾であるといえる。まさにこれらをつうじて、走狗集団ブクロ派の残存指導部たるシミタケらブクロ官僚どものすべてが、日本国家権力のスパイ分子であるか、さもなければCIAの手先と化していることが、白日のもとにさらけだされたのである。 日本国家権力内謀略グループならびにそれを背後で操作してきたアメリカ帝国主義・CIAがスパイ集団ブクロ派の使い捨てに踏み切ったのは、もちろん、この残存ブクロ派がわが同盟の闘いによって絶滅寸前の惨状に追いこまれてしまい、それゆえにもはやスパイとしての利用価値じたいが無くなってしまったからにほかならない。しかも、このことは、日本国家権力内の暴力装置ならびにCIAそのものの実体的再編と結びついている。 実際、『公安アンダーワールド』や、「これが公安警察、驚愕の真実だ!」と鳴り物入りで発行された麻生幾の『ZERO』(八月二十日、幻冬舎刊)。ここでは、公安警察を実体的に再編するという日本国家権力者の意志を体して、すでに過去のものとなった公安警察の実態≠フ一端が暴露されている。「極左担当」の部署とされる警察庁警備局公安第三課の廃止(一月)と、「極左対策室」として公安一課への吸収。首都・東京の「組織犯罪の急増に対する対策」の名のもとに警視庁の公安部・刑事部・生活安全部の三部から約九三〇人を集めて新たに設置される「組織対策本部」の設置(九月)。八月の人事異動での公安警察のエリート≠ニいわれていた警視庁公安部長・安藤隆春の警察庁総括官房審議官への異動と、警備・公安のエキスパートとはいえない(人事・外事部を歩いてきた)米村敏朗の警視庁公安部長への就任。……これらの諸事態が暴露されているのだ。 そしてまた、旧陸軍中野学校の流れをくむ自衛隊調査学校、その副校長を務めた山本舜勝の『自衛隊「影の部隊」』(六月、講談社刊)においては、自衛隊内の情報・諜報部隊の実態の一端が自己暴露されている。 こうした一連の動きは、そもそも日米共同の侵略戦争遂行体制の構築のために「危機管理体制」という名の今日版国家総動員体制の確立を企んでいる現在の日本帝国主義権力者が、まさにそのためにみずからの暴力装置をサイバー戦争としての新たな「情報戦」にも対応できるものに再編する策動にのりだしたことの現われにほかならない。しかも、日本国家権力のこの追求は、アメリカ帝国主義・ブッシュ政権の世界支配戦略の転換への模索にもとづくペンタゴンやCIAなどの諜報機関の再編の策動に規定され、かつそれに呼応するためのものなのである。<新東西冷戦>への傾動を強めている今日の世界情勢にふまえて米軍戦力の一層の強化とともに「情報戦」の強化に対応しうる新たなCIAの再編に着手したブッシュ政権と、このブッシュ政権の「パワーシェアリング」要求を受けて日米共同の侵略戦争遂行体制の構築に拍車をかけている小泉政権・日本国家権力者。この両者の合意にもとづく新たな策動として、米・日それぞれの権力内の謀略グループの再編成が進められつつあるにちがいないのである。 およそ右のような大きな背景のもとで開始されたところの、真正スパイ・白井朗による清水丈夫への個人的怨念をも一動機とした、残存シミタケ指導部の暗部の公然たる暴露。そして、これにつづいて、残存ブクロ派のシミタケ指導部が日本国家権力ならびにCIAのエージェントとしての三島や宮崎に操られてきたことの暴露と、シミタケ指導部によるその追認と居直り。これによって、走狗集団ブクロ派になお細ぼそと身を寄せている下部メンバーのすべては絶望状態におちいり、気力を喪失し、断崖絶壁に立たされている心境に漂っている。八月二十八日の北海道・旭川での自治労大会や、翌二十九日の四国・高松でのNTT労組大会にビラを撒き散らしに現われた活動家どもの精気のない、落ちぶれた表情とビラを渡す気力もないさまこそは、そのことを象徴しているではないか。いやいや残存ブクロ派分子は、自己と組織の最期を眼前にして、目はうつろに・考えることもできず・日々の食事もままならず栄養失調に陥り、臨終寸前の状態に落ち込んでいるのだ。だからこそ、日本国家権力はこうした気息奄々のブクロ派を潰すことを決めたのだ。 今こそわが同盟は、わが謀略粉砕・走狗解体闘争の完全な歴史的勝利を誇らかに宣言すると同時に、ブクロ派解体の残務処理を一刻の猶予もなく遂行することを宣言する。日本国家権力およびCIAの手先であることを自己暴露するにいたった断末魔のブクロ派に最後の追撃を浴びせかけよ。彼らがいまだ自己暴露していない隠された事実をどしどしと暴きだし、走狗集団ブクロ派に加担したすべての文化人を糾弾し、本年秋の大衆運動のまっただなかにおいて、ブクロ派の組織的解体のために断固たる闘いを貫徹しようではないか。 スパイの巣窟であることを自己暴露した最末期のブクロ派を最後的に解体せよ! 〔1〕 これが、宮崎の工作≠ヨの屈服の実態だ! 残存ブクロ官僚が自己暴露した宮崎による対ブクロ派スパイ工作の「実態」は、以下の通り(「前進」第二〇一九号)。 (1)「本年四月に出版された宝島社の『公安アンダーワールド』の序章―「工作」および同時に出回ったその原本において、公安調査庁東北公安調査局の樋口憲一郎による……スパイ工作が記されており、その中で九五年から九六年にかけて宮崎学への工作が行われているという記載があることが判明した。」 (2)「この問題について、革共同は独自の真相究明の調査を行うとともに、五月以来、宮崎学と数度にわたって真実の告白と自己批判を求める真剣な討論を行うなど事実の解明に全力をあげてきた。」 (3)「その結果、今回の『公安アンダーワールド』と原本(以下樋口報告書とする)に掲載されている内容について、わが革共同と日本の革命運動・大衆運動の破壊のために国家権力―公安調査庁がきわめて大がかりな一連のスパイ工作を展開してきたという事実の確証を得るにいたった。」その事実とは、 @「九五年二月二十一日、〔宮崎が〕三島を介して……樋口と会談した件に関しては、宮崎の記憶では時期が『三月初旬である』という見解の相違はあるが、『ちゃんこ鍋吉葉』において会談したことは事実」であり、「二度目は九五年八月か九月に、京都のブライトン・ホテル」で、「三回目は九六年四月頃、帝国ホテル」で会った。A「宮崎は、九四年頃、〔中核派の〕ある同志の病気療養のための場所をわれわれに提供したことがあるが、その提供が終わった後にその件を三島に話したことを明らかにした。」 (4)「わが革共同は五月以来、宮崎との真剣な討論を行ってきた。」しかし、「七月中旬段階で、……宮崎の口先での謝罪と自己批判は信用できないと判断し、八月上旬時点で、党として宮崎自身の思想問題にまで深めた全面的自己批判の表明と、一切の大衆運動から身を引くことを厳しく要求し、関係の決別を通告した。」 (5)この宮崎学のスパイ行為にたいして「わが革共同は……盗聴法・組対法反対闘争以来、宮崎を労働者人民の闘いの隊列に受け入れ、闘いの先頭に押し上げてきたことに対して、重大な責任を負っていることを、全労働者階級に心から謝罪する。同時に革命党としての不明を恥じ、深く自己批判しなければならない。」 〔2〕 ブクロ官僚全員が「非公然アジト」を提供され黒い金≠受けとっていた! 「前進」第二〇一九号の無署名論文において、シミタケが姑息に隠蔽しようとも、樋口「原本」では、宮崎のスパイ工作(その一端)として、以下の諸事実が暴露されているのだ。 @「私〔宮崎〕は約十年前に、若松孝二の紹介で革共同中核派の金山克巳と付き合うように」なった。はじめは金山に三人の「防衛要員」がついていたが、「今は彼が一人」で来る。 A「〔金山には〕主にカンパをしている」が「非公然政治局員のアジトも探してやっています」。「非公然幹部のアジト提供は、これまでに十回ほど」で「すべて都内二三区内」。「一軒家が三回、二DKのマンションが七回」。「設定は私がすべてやり」、「彼らは一度も家賃を払ったことはありません」。「私はずっと高額のカンパも続けており、組織から信頼があるので用途を聞いたところ、非公然政治局員の住居用だと言っていました」。 B「今度は、機材や資料類を隠すアジトを探すように頼まれています。二DK位であればマンションでも一軒家でも構わないと言っています」。 C「〔金山との連絡は〕金山のポケットベルの番号、5135―57××を回し、こちらの居場所の番号を発信」。実際に宮崎がベルを呼んでパフォーマンスをすると、「五分後に折り返し金山からかかってきた」。「このように金山は私とは二十四時間即応態勢です。今、〔金山は〕前進社で会議をやっていたようです」。 D「あなた〔公安調査庁〕のところで、〔中核派の非公然アジトを〕ウォッチングするなら引き渡す前に場所を教えても構いません」。 E「革共同へのカンパ」は、「大体一回につき三〇〜五〇万円」。 F「平成四年(九二年)七月二八日に、金山が大口で頼むというので、貸すことにしました。路線転換に金がかかるといっていました。そのときの額は、一二〇〇万円です」。「金山は、その際、白井朗が代表だといって白井の印鑑証明と、白井の代理だといって高木徹が来ました」。「高木はそのとき、自分は政治局員で革共同の財政責任者だと話していました」。「この金は昨年〔九四年〕十一月までに四回に分けて返済してきました」。 G「〔金山は〕その時点で〔九四年十一月〕〔中核派には〕四億円の残〔借入金〕があると言っていました」。 H「私は、藤井高広の保釈金一〇〇万円も出してやりよろこばれ、そのあとの出版物(『前進』第一五二一号第五面)に『シンパが一〇〇万円をポンと出した』と書いたようです」。 I「いま金山とは……月に一〜二回」会っている。「心臓病の心筋こうそくは風船のようなものを入れて回復したと言っています。」「印刷局長は降りたようです。金山は、水谷保孝の後で政治局員になったといっています」。) |
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8・5国際反戦集会を各地で開催
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