第1656号(2001年2月19日)の内容


<1面>
2・4労働者総決起集会かちとる
春闘の戦闘的高揚へ橋頭堡築く
満場にみなぎる労働者一七〇〇名の闘志


<4〜5面>
「教育改革国民会議」報告のイデオロギー的特質
トヨタが「再雇用制度」を改悪
大阪府教委が反動的「指導力不足教員対策」

<2面>
米原潜衝突事故弾劾!
─全学連が米大使館に緊急抗議 2・10

各地で日米の戦争準備に反撃
東京港/日出生台/北熊本―春日/旭川


<6面>
「歌を忘れたカナリア」=立花よ
JR北海道会社のリストラ攻撃を打ち砕け
自治労北海道が「賃上げ中心のとりくみ」を否定
Topics 忠犬ぶりを発揮した「連合」笹森

<7面>
権力による謀略隠蔽のための抹殺処分に怯える青解両派
内閣情報官新設の狙い

<8面>
劣化ウラン弾をめぐって激化する米欧間の軋轢

<3面>
万華鏡2001――情勢の断層を読む
マルサの子供
「不適切」
論功行賞
近頃欧州で流行るもの
写るんです
週間日誌〈世界の動き・日本の動き〉


「解放」最新号



  

2・4労働者総決起集会かちとる
春闘の戦闘的高揚へ橋頭堡築く
満場にみなぎる労働者一七〇〇名の闘志


 二月四日、たたかう労働者たちは「たたかおう! 二〇〇一年春闘を、ネオ・ファシズム的反動攻撃をうち砕け! 2・4労働者決起集会」を、首都東京において、一七〇〇名の結集で大成功させた。
 二十一世紀の幕開きの今春闘において、独占ブルジョアどもは「成果主義が志向される人事・賃金制度の下で、従来のような一律賃上げの水準を交渉することは意味がない」(『日経連労問研報告』)と、居丈高に言い放っている。これに完全に屈服した「連合」労働貴族は、いまや資本の土俵の上で労使協議をおこなうことに春闘を解消するばかりか、労働組合そのものを「地域コミュニティ」の一環としてネオ・ファシズム的社会秩序にみずから編みこもうとしている。
 「救国」産報運動に狂奔する「連合」指導部を弾劾し、「連合との共同」に血道をあげる「全労連」指導部に抗して、二〇〇一年春闘を高揚させることを、わが仲間たちは決意し、この集会において闘いの意志をうち固めたのである。
“「救国」産報運動を食い破るぞ!”――熱気溢れて
(2月4日、東京練馬文化センター)
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米原潜の実習船衝突事故弾劾!
2・10全学連がアメリカ大使館に緊急抗議

二月十日に、全学連のたたかう学生たちは、アメリカ大使館にたいする緊急抗議闘争に決起した。
 この日午前九時前(日本時間)、アメリカのハワイ・オアフ島沖において作戦行動中であったアメリカ太平洋艦隊所属の攻撃型原子力潜水艦「グリーンビル」が突如として浮上し、宇和島水産高校の実習船「えひめ丸」に衝突し沈没させた。これによって「えひめ丸」に乗り組んでいた高校生・教員・乗組員九人が行方不明となったのだ。この事態は、アメリカ帝国主義が、中・露をはじめとする<反米>諸国家を軍事的に封じ込めるために、原子力潜水艦を世界中で展開していることによってこそ引き起こされたのだ。たたかう学生は、この米軍の暴挙を弾劾するために起ちあがったのだ。
 午後四時半、たたかう学生たちは、アメリカ大使館前に登場した。ヘルメットをかぶり、ただちにシュプレヒコールを開始する。
 「米原潜による実習船衝突事故弾劾!」「日米安保同盟のグローバルな強化反対!」
 「ヘルメットをとれ!」
警戒中の機動隊はジュラルミンの楯をふりかざし、学生たちを排除しようとする。だが、学生たちは、機動隊の悪らつな弾圧を固いスクラムではねかえしつつ、駐日アメリカ大使にたいする抗議文をつきつける。「われわれはアメリカ原子力潜水艦が水産高校の実習船に衝突し、沈没させたことを徹底的に弾劾する!」
 たたかう学生たちは、このように緊急抗議闘争を戦闘的にたたかいぬいたのである。 
  

米原潜衝突事故への怒りに燃えて全学連が緊急闘争に決起(2月10日、米大使館前) 米第7艦隊の旗艦ブルーリッジの東京港寄港に
全学連が抗議(2月3日、東京港晴海埠頭)
「日米共同指揮所演習阻止!」全学連九共闘と反戦が
陸上自衛隊北熊本駐屯地に怒りの拳を
叩きつける(1月22日)
「連合」一万人集会の先頭で全学連・反戦が
日出生台米軍砲撃阻止闘争に決起
(1月28日、大分県玖珠町)
自衛隊のゴラン高原PKOへの第11次派遣に
全学連道共闘が唯一反撃(1月22日、旭川空港)
沖縄県学連の学生たちは、米軍ヘリ不時着事故にたいして
緊急抗議闘争に決起した(2000年12月29日、
米軍司令部のあるキャンプ・フォスター前)
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論功行賞 叙勲叙勲と人馬は進む

 御存知、総評を終焉においこんだ最後の議長・黒川が「勲一等」をチョーダイしたのは一昨年。「連合」をつくった元「連合」会長・山岸がこれまた「勲一等」を貰ったのが昨年。そりゃあ、総評をぶっ壊して「連合」を産業報国会へと変質させた論功行賞、ご褒美デショ。支配者にとっていいことやった功績に応じて、天皇が下賜=iくれてやる)のが「叙勲」なのね。
 軽薄で鳴らす黒川は勲章もらって有頂天。山岸は「これで労働運動が国家にたいする市民権を得た」と馬鹿喜び。今度はオレの番だ、と胸算用している労働貴族どもがウヨウヨしている。
 大ブルジョアの親玉でさえも、「叙勲に階級をつけるのは好ましくない」(経団連会長・今井)とか、「勲章は官が受ければよい。民は適さない。人間に一等、二等、三等なんて区別をつけるのはおかしい」(日経連会長・奥田)って辞退したってのに!
 黒川も山岸も、労働貴族というだけあってホント称号が好きなのネ。ウチら賃プロとは住む世界が違ウっての!
 天皇がくれてやるという勲章を山岸・黒川は嬉々として貰ったが、大江健三郎は文化勲章を蹴っとばした。文化勲章を蹴とばした健三郎だったが、サルトルが蹴とばしたノーベル賞は貰った。健ちゃんのばあいは訳者が上手だから著作が世界に普及したのであって、「日本語をダメにした典型的な作家」(小宮山量平氏評)ということは誰も皆知るところ。
 ノーベル賞といえば、千以上の特許をとって「ミスター・半導体」との異称をもつ西沢潤一は一昨年エジソン賞を貰ったが、ノーベル賞を貰っていない。しかし、携帯電話その他に使われている電導プラスチックを発明した白川英樹は貰った。
 当然、ノーベル賞を貰えるべき破傷風菌の純粋培養に成功した北里柴三郎やビタミンB1の発見者の鈴木梅太郎は、いわゆる宣伝が足りなかったために貰えなかった。野口英世もスピロヘータ・パーリータの発見者として当然貰えるべきであったけれども、色(人種)が黄色だからダメだった。
 戦後はテレビのアンテナとして誰もが目にしているが、戦時中、日本では利用されていなかった八木アンテナ。マレーの虎≠フ山下奉文がパーシバル将軍に「イエスかノーか」と迫ったときに、帝国陸軍将校がイギリス軍が使っていたアンテナをさして「What is this ?」ときいたところ、It's Yagui.「ヤグイ、ヤグイ。ヤギ、八木」と答えたという。東北帝大の八木秀次が、このアンテナの発明者。この人が作った指向性アンテナがなかったら、今日のマイクロ波通信システムは存立しえなかった。だが八木秀次はノーベル賞を貰ってはいない。(『実践と場所』第三巻一五八頁を参照のこと)。
 住友財閥から研究費を貰って本多光太郎が開発した世界の鋼、「本多鋼」。これはカネを出した住友吉左衛門の頭文字をとってKS鋼と名付けられ、本多鋼とは呼ばれなかった。この本多はノーベル賞は貰えなかった。
 袖の下をたんまり使って佐藤栄作が貰ったのがノーベル「平和」賞。これってブラック・ジョークだよネ。
 ノーベル賞の話はこれくらいにして、「叙勲」の話。やっぱり悪いことやって貰えるのが「叙勲」。
 オット、もっと大物がいた。動労型労働運動の伝統の火を絶やし戦闘的なJR総連運動を絞め殺した小田裕司委員長の大貢献は山岸・黒川の比じゃない。もしかしたら、小田よ! おまえも「勲一等」を狙っているのじゃないかいな。
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「教育改革国民会議」報告のイデオロギー的特質は何か

1 雑感

 「教育改革国民会議」最終報告についての記事がのっている二〇〇〇年十二月二十三日付の朝刊をながめていたとき、この報告にかんする読売新聞編集委員・勝方信一の解説が私の目にとまった。この解説の出だしを見て、私はアレッと思った。なぜなら、そこには、「最終報告には、臨教審以後の教育改革の潮流を転換するところがある」と書かれていたからである。ここにいう「臨教審以後の教育改革の潮流」というのは、いったい何をさすのであろうか。「転換する」とされているのであるからして、中曽根康弘が提唱し主導する「教育改革の潮流」のことをそれはさすのではないことは、明らかである。
 勝方のような捉え方は、「教育改革」をめぐる角逐について・われわれがこれまでつかみとり描いてきた構図とは異なる。中曽根康弘が臨時教育審議会(一九八四年〜八七年)をつくって実現しようとしながらも挫折したところの「教育改革」の構想、これを今日の情勢のもとで新たなかたちで貫徹するために、中曽根にコントロールされた小渕は「教育改革国民会議」を設置したのであり、森はこれを継承したのだ、というようにわれわれは――存在論的には――おさえてきたのであった。このような観点からするならば、われわれが捉えているところの、中曽根式の「教育改革」の構想を実現しようとする潮流というのとは異なって、むしろこれに対立する潮流という意味において、「臨教審以後の教育改革の潮流」という用語を、この編集委員は使っている、といえるわけである。
 とするならば、勝方は、この教育改革の潮流のイデオロギー的特徴をどのように捉えているのであろうか。
「今、自由、個性をスローガンに個人の自発性尊重を第一にしてきた改革は、子どもたちに安逸と放縦をもたらしている。それを考えると、転換は遅きに失したとさえ言える」、と。
 この展開をみるかぎり、子どもの自発性をひきだし創造性を育むために、「新しい学力観」だとか「生きる力」だとかを掲げておこなわれてきた文部省の追求を、勝方は槍玉にあげ、これを「子どもたちに安逸と放縦をもたらしている」というように弾劾しているといえる。そして、このばあいに、「自由」とか「個性」とかを、「個人の自発性を尊重する」という意味において、文部省の追求のスローガン的表現というように捉えているわけである。
 たしかに、このような捉え方ができないわけではない。けれども、臨教審いこう「教育改革」をおしすすめなければならないと主張してきた者どもは、子どもたち一人ひとりの能力はそれぞれ異なるのであるからして、相異なるそれぞれの能力をのばすかたちで子どもたちを教育する必要がある、ということを明らかにし強調するために、「個性」という用語をことさらに使ってきた、というのがわれわれの認識であった。そしてまた、子どもたちのそれぞれの能力をのばすためには、これまでの「悪平等主義」「一律主義」をあらため、教育を「多様化」「複線化」する必要がある、ということをおしだし正当化するために、彼らは「自由」とか「自由化」とかという用語を使ってきた、というようにわれわれは捉えてきたのであった。ちなみに、朝日新聞の記者は、「大半の提言は臨教審以来の『自由化』路線を踏襲したものだ」というように捉えているわけである。
 まさに、読売新聞の編集委員・勝方の主張は、従来の論者のように「能力主義」を理論的に粉飾するという観点から「個性」とか「自由」とかをおしだすのとは、明らかに異なっているのだ。
 この勝方のような主張を貫徹しようとしている分子、つまり読売新聞を活用しその編集委員をあやつっている者どもが、一つの「潮流」をなして存在するであろう、というように推論するならば、次のような諸実体の対立の構図が見えてくるであろう。
 すなわち、子どもたちの相異なるそれぞれの能力をのばす、という能力主義の観点にたつ(だから「悪平等主義」「一律主義」をあらためる)ということでは一致しつつも、それをどのように実現するのか、ということにおいて対立がある、ということである。一方は、子どもたちのそれぞれの能力をのばすために、彼らの自発性をひきだす、というように考えている部分であり、この部分とは一九九〇年代をとおして「教育改革」を現におしすすめてきたところの文部省の主流を形成してきた者どもだ、といえるであろう。他方は、子どもたちのそれぞれの能力をのばすためには、教育する者が子どもたち一人ひとりの能力を測定し、彼らを選別し、彼らそれぞれに見合った教育を彼らに強制しなければならない、というように考えている部分であり、この部分とは「教育改革国民会議」の主力をなしている面々であり、読売新聞の発行者であり、彼らをあやつっている者どもだ、といえるであろう。
 実際、勝方は次のようにつづけている。
「報告は、小中高に共同生活などによる奉仕活動を求めた。道徳教育の充実、高校での学習到達度試験の実施、教員の評価を待遇に反映させることなども提言した。子どもの自発性を尊重するあまり教育放棄に陥っている学校もある。その中で報告が、子どもたちに公共性の感覚を植え付け、社会の再構築を図る方向性を示した意義は大きい」、と。
 勝方のこのような解説を読むことをとおして湧きあがってきた問題意識をもって「最終報告」を、私は読んだ。驚いた。たしかに、「個性」という用語は、ただ一箇所、ひとつの提言の表題「一律主義を改め、個性を伸ばす教育システムを導入する」という中にしか出てこないのだ。しかも、この「個性」の意味内容は「一人ひとりの持って生まれた才能」というように具体的に規定されているのであり、この報告の全体をとおして後者の表現に統一されているのである。
 まさに、この報告には、江崎玲於奈式の「遺伝子決定」論が、それにもとづく能力主義が、頑としてつらぬかれているのだ。

2 「遺伝子決定」論にもとづく能力主義

3 「自己の力を超えたものに対する畏敬の念」とは?
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「歌を忘れたカナリア」=立花よ

 JR総連執行部の立花よ。おまえは労働運動とは異界に棲む男、異界人なのだ。
 そう、くだらないことに熱をあげてるが、おまえは。「告訴・告発」などという労働者にあるまじきことをやってのけ、この意味でもおまえは異界人。
 おまけに、九州労の組合員を養殖に売り渡したことに、おまえはかんでいるんでないの。看板の諸葛を裏で操った仲田とおまえ立花はつるんで、この世紀の脱退劇を演出したんだべや。
 「事の本質を十分に掴んでいませんが」(「公益企業レポート」二〇〇一年一月二十五日付)などと未だにほざいておるが、これ真っ赤な嘘。嘘も休み休み言え、と言いとうなるわ。
<公安調査庁よ、JR東労組のどこが問題なんですか。言ってください、公安調査庁>
<国労よ、「公的機関=権力の側が発表したんだから正しい」と言うのなら、君らは権力にすがって生き伸びようと思っているからそう言うのだろうが、権力に仕掛けられた三鷹事件、松川事件、下山事件はどうなんだ。あの時、増田という官房長官が、「……国労の過激派がやったことだ」と言った。公的立場の人が言った。これが正しいのか。違うだろう>
<「東日本の民主化」だとかどうとかのたまわっている諸君がいるけれど……民主ということがわかっていないんですよ。権力におもね、権力の言うことは全部聞きながら、民主だなんておこがましい。>(二〇〇〇年十二月九日、「JR東労組全支部執行委員長会議、会長講演」)
 これあんた忘れたの? 忘れてるからこそ、おまえは異界人よ。養殖にも、国労にも、グリーンユニオンにも、ぜんぜんメクラ。どうしたの?
 革マル派とかいうのが主要打撃対象なの?! アッそう。堕落したコミンテルンの「社会ファシズム論」にいつ抱っこしたの? 社民党主要打撃ではなく革マル派主要打撃? ホホホホホ。
 今日でもスターリニストがいるとは知らなかったワ。あら、ホントかしら、ホントかしら。
 やることなすこと異界人。これじゃあ下部組合員もたまらない。おりゃーついてけねぇーわ≠ニ悲鳴あげ。

 いやいや、おまえは「歌を忘れたカナリア」じゃないの?
 「二一世紀にはどのような運動――JR東日本の労使は、さまざまな施策の実現を通じて強靭な関係を創り上げていくことを目指していますから、この体制をより一層固めていただきたい……また、今年はJRグループの労働組合との連携を深めていきたい」(「公益企業レポート」同上)。
 この三者で今後はやっていくんだって! 敵=養殖と一緒になり会社当局とアベックでやるというのは、これ一体どういうわけ?
 「労使対立なき労使協力はない」というのは何処に捨ててきたの。こういうJR総連の歌≠、おまえは忘れているじゃんか、ホント? 「強靭な労使関係」(「緑の風」二〇〇〇年五月一日号第一面)からさらに飛躍してしまったよ。そんなこともわからんかネェー。
 この三者の「強靭な関係」「連携」とは、プロレタリア文化大革命の時の革命的三結合〔革命的造反派と革命的幹部と軍隊の結合のこと〕と同じ? それとも、ルーズヴェルト大統領とチャーチル首相とスターリン元帥の三者結合かしら? こりゃタイヘンなことですワ。
 こんなことをほざくのは、いわずとしれた動労型労働運動≠フ歌を忘れたカナリアだということをおまえは示しているじゃんか、そうじゃんか。
 「国鉄分割民営化」以降にはオイラの姿勢は変わったのよ、と。だけんどよう、「ニアリーイコール論」はどこいったの? 頭の中がスカスカになれば、なんでもできるということか。
 アタマに血が上ったか、立花よ。ねぇーねぇーねぇーとすり寄ってみても、養殖からはひじ鉄くうのが関の山。あんたたち汚らわしいわね≠ニ。それとも、アンタなにさ≠ニ蹴とばされるかどっちかよ。
 わが「歌を忘れたカナリア」は、黒川や山岸のように勲一等はもらえない、ソウ、もらえなかんべェーな。もっとも、勲八等くらいはもらえるくらいの反労働者的な犯罪は犯したけんど。
 ハァーたいしたもんだ。<磨かれた理性と感性をもって>とおとっつぁんが言ってるのに、「歌を忘れたカナリア」は、もうピーマンよ。
 あーやんなっちゃった、やんなった。「歌を忘れたカナリア」=立花よ、<自分が何をやってきたかということを胸に手を当てて問うてみればよい>。
 「白粉をボテボテ塗った芸妓がネエネエと言って近づいてくるような……」〔梅本克己の言葉、『黒田寛一 初期セレクション【中巻】』「運動の足跡」一九四頁、『実践と場所』第三巻、一六七頁参照。〕
 芸妓のマネを立花はしていることに気がつかず。あーやんなっちゃった、やんなった。
 「金の舟」に乗せるのはもったいないので、軍労のタヌキの作った泥舟に乗せて異界に漕ぎだしたのだから、待ち受けてるのはDeathだけさ。
                                土着人より   
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権力による謀略隠蔽のための抹殺処分に怯える青解両派
惨めで滑稽な二つのニセ「解放」新年号

1出獄者が頼の≠フ相互「解体・絶滅戦」

 組織分裂(一九九九年五月)から一年八ヵ月を経た今日、青解派残党の千木良派と山茂派は、各々の機関紙(二つのニセ「解放」)二〇〇一年新年号で、一段と声高に、相手の「解体」「絶滅」をがなりたてている。
 いわく、「党派闘争史上かつてない壮絶な報復戦を貫徹し、反革命サークル集団・木元グループを切り刻み、焼き尽くす」(千木良派)、「もはや一切の制限はない。あたるを幸い、一人残らず打倒する。攻勢につぐ攻勢で、ハザマ私兵グループを解体・絶滅してしまう」(山茂派)――と。
 それはそれは、相変わらず相手方に向ける言葉だけは勇ましい。……と思いきや、それぞれが文中で書いている「戦局」やら「戦力」なるものから浮かびあがってくるのは、青解派両派の惨めにしてあまりにもこっけいな姿ばかり。なにしろ両派ともに揃いに揃って、年頭にあたって「戦局」を好転させる展望として書いていることは、ただひとつ、各々の活動家が拘置所から出所してくることなのだから。
 「わが方の七・二二被告奪還によって公然戦力比は逆転している。七・二二被弾圧戦士の奪還―合流は、日本階級闘争の革命的転換、共産主義的労働者党建設の一大飛躍をなすものである」(千木良派)「六・八『凶準』反革命弾圧被告十一名の奪還を力に、体制をたて直し、二〇〇一年階級攻防に進撃しなければならない」(山茂派)――と。
 たしかに、四十名前後にまで落ちこんだ双方にとっては、そのうちの三十数名(千木良派)・十一名(山茂派)の活動家が出獄してくることは、お互いの力関係を変える地殻変動≠ニなるのであろう。……向こうが〇〇人で・こっちが××人。いままでは「拠点防衛」と拘置所への差し入れしかできなかったのが、これで少しは街頭ビラまきぐらいはできるようになった。よしよしついに「反革命グループ」を圧倒できるぞ、これは「日本階級闘争の革命的転換」だ……≠ニまあ、こんな具合に、おそろしく狭ーい世界で胸を躍らせているのがともに消滅寸前の青解派両派なのである。
 だから、この二つの文章は、青解派の両派とも、自分たちでは何ひとつ「殲滅戦」など組むことなんかできないことを、問わず語りに告白したようなもの。その彼らが、いくら「木元グループ解体」だの「ハザマ私兵グループ絶滅」だのとオクターブを上げて叫んでも、それはしょせん、彼らのご主人様たる権力内謀略グループが相手方に殺人襲撃を加えたり、警察権力が相手方を大量逮捕することに期待を寄せるというようなものにすぎない。そのオクターブを上げれば上げるほど、それは権力への忠誠と哀訴の度を競うものでしかないのだ。
 千木良派と山茂派の各々の機関紙新年号は、権力の走狗たる馬脚をあらわした代物にほかならない。

2 ボケきりビビリあがる出獄千木良派分子

3 飼主に見捨てられ必死で哀訴する山茂派

4 死にのたうつ青解両派を解体し一掃せよ!
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