第1582号(1999年8月16日)本号の内容


<1面>
8・1全国で第37回国際反戦集会をかちとる

<4面〜5面>
白井の「組織暴露」に怯えるブクロ派
占領下のコソボ 空爆後のセルビア(下)

<2面>
全国で反動諸法制定阻止に起つ
憲法調査会設置に反撃(7・29)
国旗国歌法案衆院採決に抗議(7・22)
大阪、石川、福岡、名古屋、7・6札幌
7・16法曹団体主催盗聴法反対集会(金沢)
8・3盗聴法反対日比谷集会で奮闘

<6面>
Topics 日共が年金制度大改悪を補完
リポート労働戦線:7・28護憲フォーラム集会/郵政省当局の労務管理強化/対立と分解を露わにした「全教」大会

<7面>
火を放たれた印パ・カシミール戦争

<8面>
変革へのパトスに満ちあふれて
うた 渦巻く戦流

<3面>
99万華鏡――情勢の断層を読む
幻のアウシュビッツ
用済みスパイの宿命
生物学の時代?
トフラー教授の「心の戦争」
「人権」と「トラウマ」
週間日誌〈世界の動き・日本の動き〉




「解放」最新号


  

革命的反戦闘争の炎を全世界へ

8・1 全国で第37回国際反戦集会
  ネオ・ファシズム的反動化阻止を決意
    労学一三〇〇名が中央集会に結集

 八月一日に、わが同盟を先頭とする戦闘的・革命的労働者と学生は、首都東京をはじめ全国六ヵ所で第三十七回国際反戦集会を開催した。〔九州集会は八日に開催〕
 アメリカ帝国主義クリントン政権はいま、テポドン危機≠ネるものを煽りたてながら、北朝鮮と中国への戦争挑発を強めている。このアメリカ権力者とともにいまや侵略戦争の準備に突進しているのが小渕政権なのである。しかも小渕政権は八月十三日の国会会期末までに、国旗・国歌法案と組織犯罪対策法案などの反動諸法案すべての参議院での採決強行を狙っている。この緊迫した情勢のまっただなかで、わが同盟とたたかう労働者・学生は、東京の中央会館において労働者・学生・市民一三〇〇名を結集して第三十七回国際反戦中央集会を成功裡にかちとったのだ。
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用済みスパイの宿命 − ニセ「解放」がついに消滅

 まずは左の写真をごらんあれ。写真では大きさがわからないかもしれないが、これはワープロで作製されたB4判の上質紙五枚をホッチキスでとじたもの。ちょうど労組や学生自治会が発行しているビラか簡単な討議資料のようなものだが、よく見ると一ページ目の右上に「解放」という題字が入っている。何と、これが、青解派・千木良一派が、八月一日付で発行したニセ「解放」第六九八号!
 かの五月以降の「分裂劇」で、その人数も指折り数えるのみとなったとはいえ、青解派・千木良一派は、六ページだてのブランケット判の新聞としてのこれまでのニセ「解放」を、毎月一日と十五日付で月二回発行する体制を何とか三ヵ月間は維持してきた。もちろん、その質は号を重ねるたびにどんどん下がってきてはいた。
 六月一日付の第六九四号から、字体が従来の写植文字からワープロ文字へ、印刷のインクの濃さもベッタリと濃いものに。これは、手間のかかる写植での版下づくりが維持できなくなっただけでなく、印刷も外注で一号ごとに印刷所を転々とせざるをえなくなったから。そしてとうとう、新聞印刷をあきらめて、B4判のビラのようなものへとあいなった。
 思いおこせば、一九七四年に、わが同盟の闘いに追いつめられたブクロ=中核派が、「前進」発行停止に陥り、タイプ印刷のビラを束ねた「革共同通信」なるものを細々と発行したことがある。これと似てはいるが、今日の千木良派の場合は様相が違う。
 このニセ「解放」に載っている「機関紙局からのお知らせ」なる言いわけによると、「七・二二反革命弾圧を粉砕する組織体制の再編と集中のなかで、本号はB4版〔ママ〕で発行されることとなった」とのこと。どうやら、七月下旬に、八十島、渡辺をはじめとして千木良派活動家のほぼ全員・三十七人が逮捕され、その後に頭目の千木良も逮捕されてしまったことが、よほどこたえているようだ。毎号同じフレーズの雑文で紙面を埋めているにすぎないのだとはいえ、そのような雑文の書き手さえもいなくなってしまった。いまさら謀略グループに見捨てられたことを嘆き、「早急に従来の版〔ママ〕での発行を実現する」「熱烈なカンパを」などと泣き言をたれたりしても、虚しく響くのみ。ニセ「解放」は、廃刊の運命をまぬかれることはできない。
 わが革マル派機関紙「解放」と区別するために、わざわざ「ニセ」などとつけなければならない煩わしさからも解放されるときがきた。
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   スパイ集団のなれの果てを晒した
    残存ブクロ派を最後的に解体せよ


    権力に庇護されたスパイ白井の「組織暴露」に怯えるブクロ派残党

 ブクロ=中核派の元政治局員・山村克こと白井朗が二冊のパンフレットを発行して、「清水・高木・天田一派」を「打倒」する「革命的分派闘争」なるものを呼びかけつつブクロ派の実態暴露をおこないはじめたことにたいして、わが同盟はただちに、権力の掌にのった白井のこの暴露がわれわれがおこなってきた残存ブクロ派にかんする実態暴露の的確さを物語るものでもあることを明らかにし、残存ブクロ派解体のイデオロギー的爆弾を撃ち込んできた(本紙第一五七九号)。
 さらにわれわれは、権力の走狗集団としての残存ブクロ派の全貌にかんして、白井の無能さのゆえだけではなくスパイと化した彼の思惑からしてごまかしたり隠蔽したりしていることも多々あることを追い打ち的に暴きだし、断末魔のブクロ派を白井もろとも解体・一掃する巨弾を連続的に撃ち込んでいくことにする。

一、権力に投降した元政治局員・白井朗

 一年前(一九九八年四月二十七日)に金沢市内のホテルでみずからとブクロ派の前途に絶望して自殺をはかり未遂に終わって警察権力に手厚く保護された白井。この男が、一年後の今日、「仲山『資本論の研究』批判」と「自称十九全総批判」の二冊のパンフレットで呼びかけている「革共同・中核派の再建」のための「革命的分派闘争」なるものの内実は、まさに語るに落ちるというべき代物である。白井がパンフを書いた動機・バネの最大のものは、「政治局会議を開催すると謀略を演じて」「私と妻を留守にさせ」たスキにアジトを襲って「知的財産を横領」し「住居を破壊して住む権利を奪った」「ドロボー清水一派」への私的怨念でしかない。
 「住居を破壊して住む権利を奪うことは、人間の基本的人権のもっとも深い基礎を破壊する許しがたい蛮行」「この事件全体に人間的な要素、人間らしい匂いがひとかけらもない」「反知性主義の極致」云々。白井はこのように実に惨めで矮小な言辞を恥ずかしげもなく振りまきながら、「トップの地位を守るためには彼よりも優れた知性(!?)を排除する」という「官僚主義・権力主義に堕落した」清水丈夫らの「歴史上前例のない裏切り」を「すべての先進的人民」の前に明らかにし「犯人を告発する」などと息まいている。
 だが白井よ、「歴史上前例がない」とはどういうことだ!? 何やら哀れっぽい悲鳴と泣き言を垂れているが、一九六三年八月十四日に、ほかならぬお前を含む本多延嘉や清水丈夫以下のブクロ官僚どもが総出で同志黒田宅におしかけ、書物や未発表の原稿・ノートなどを強奪したというこの犯罪を、忘れているはずはあるまい。
 そもそも、「革命的分派闘争」などと銘うってはいるが、ブクロ官僚以外の下部同盟員は眼中になく、その内実は、「ドロボー清水」とその「手先」である高木・天田らにたいする「私と妻」の闘い≠ナしかないではないか。いやそんなことよりも、「犯人を告発する」とは何だ!? これこそ警察権力の懐に飛び込んだお前が、警察権力にネジを巻かれその意を体してこのパンフレットを書いたことを如実に物語っているではないか。
 いやいや、より決定的なことがある。すなわち、第二パンフのテーマでもあるブクロ派「十九全総」(九五年秋)について白井はなにくわぬ顔で次のように書いている。「創立以来の政治局員たる私が排除されてから一年もたって開催されたのであるから、もちろん私は出席していない」と。みずからが出席していないはずのその「十九全総」について、にもかかわらず彼は、「八七年にモラル的理由で実質的に脱落した」野島三郎と九二年に「清水代行」に指名されたあと数ヵ月後に「排除」された秋山勝行と「私」の「三人が欠席」したとか「出席者は約二十名」だったとかと書いている。このようなことを白井は誰から教えられたのか。権力からであることは歴然としているではないか!
 しかも白井は「十九全総」の会議に出ていないだけではない。「ドロボー事件」いご「彼らの謝罪と略奪物の全面返還なきかぎりいっさい関係を持たないという態度をとりつづけてきた」とうそぶいてもいる。「関係を持たない」とは!? モノも言いようだが、要するにブクロ派から脱落して自殺未遂を仕出かしたあげく権力の懐に飛び込んだのがお前ではないか。だいたい、「ドロボー事件」から五年も経て、今さら「分派闘争」とは、お笑い種ではないか。それも警察権力に投降しその庇護のもとでの「妻と二人」の「分派闘争」とは!?
 もはや明らかであろう。自殺未遂の白井をガッチリと確保しこの男を全面自供に追い込んだ警察権力は、残存ブクロ官僚どもを恫喝する手段として白井が知っているブクロ派の実態について暴露するように指示すると同時に、白井が知らない九五年秋の「十九全総」についてや指導部の動静について、――権力に都合の悪いところは隠蔽しあるいはでたらめをデッチあげた内容も含めて――注入し教育≠オたわけなのだ。
 九五年三月の地下鉄サリン無差別大量殺人事件や九七年五月の神戸連続児童殺傷事件などの背後に、日本の治安維持体制をどのようなものとして確立するかをめぐっての警察権力内の――政治エリート間の対立とも結びついた――対立とからんだ米国CIAの黒い影が暗躍していることを断固として暴きだしてきたわれわれの闘い。この闘いが社会的に広く浸透してきたことに震撼し追いつめられた警察権力内の謀略グループは、数多の権力犯罪のもみ消しに狂奔しはじめた。謀略追認集団としての存在が知れ渡り利用価値がなくなったブクロ=中核派と青解派にたいしても、すでに青解派内の千木良派と山茂派の分裂抗争につけこむ形での「内ゲバ」を装った用済みスパイ≠フ処分が強行されている。権力内謀略グループは、これとまさに時を同じくして残存ブクロ派にも手を下すべく、飛んで火に入ったウジ虫≠スる白井を最大限活用しているわけなのだ。
 白井が「清水・高木・天田一派」の「打倒」を呼びかけた「革命的分派闘争」の「宣言」なるものはこのように、実のところは警察権力の庇護のもとで権力にネジを巻かれその意を体して書かれた、まさしく白井の転向・スパイ宣言というべき代物にほかならないのだ。

残存ブクロ派の炉心溶融

 だがもちろん、白井のダウン・逃亡ともっとも惨めな権力のスパイ分子への転落は、そもそも彼が革共同第三次分裂において何の主体性もなく本多延嘉に盲従しその茶坊主として日本反スターリン主義運動への敵対者に転じたことの、その必然的帰結いがいのなにものでもない。とりわけ七〇年安保=沖縄闘争を武装蜂起主義的にたたかって大破産したあげく、国家権力の手を借りてわが同盟に敵対することに延命の道を求めた本多に追随したその時に、白井は権力の走狗としてバリケードの向こうへ遁走したのだ。今日の白井はヨリ公然と権力の庇護下に身を寄せるにいたった点に、これまでとの違いがあるにすぎない。
 殺戮のアジテーターと化した本多に盲従して革命的労働者・学生にたいする殺人テロルをスパイ通信「前進」紙上で号令し煽りたて、かつまた数々の謀略的殺人襲撃をみずからの戦果とするデマ記事を書きなぐるという、絶対に消しさることのできない階級的犯罪に手を染めてきた山村こと白井朗よ!
 七五年三月に本多をわれわれに打倒されたあと書記長代行の座についた野島三郎こと木下尊晤が「カクマルは現代の悪魔だ」という悲鳴を残してダウン・逃亡した八〇年以後は、清水、陶山あるいは高木、北小路などの六〇年安保ブント出身者のもとで干されてきたのだとしても、ことここにいたってポンタに代えて文字通り警察権力を親代わり≠ノするまでにいたったお前の階級的犯罪は、まさに万死にあたいする。残存ブクロ派とともにお前にも、わが同盟は断固たる鉄槌をあびせるであろう!
 だが、問題はその先にある。「革共同創設以来の唯一の〔ブクロ派生き残り〕政治局員」だとか「元『前進』編集局長」だとかとおのれの経歴を吹聴して止まない知性≠フ持ち主である白井が、いまや権力に身も心も投げ出していながら、姑息にもなおも「左翼」の一員であるかのような言辞を弄しているばかりでなく、「本多=三回大会」の正統な受け継ぎ手であるなどと押しだしているとは、一体全体どういうことか。もちろんわれわれは、このようなことにいまさら驚きはしない。このようなことが過去も現在も平然とまかり通ってきているのがブクロ派組織なのだからである。上から下まで総スパイ集団と化して久しいブクロ=中核派、そこでは醜い内部抗争に敗れると「国内亡命」と称してあるものは権力のもとに、またあるものは右翼のもとに囲われ、ほとぼりがさめるとなしくずしに復帰し「指導部」の座に座ることが常態化してきた。最古参幹部を自称する白井にしてもこれを踏襲しているだけのことなのだ。
 しかも、権力に唆されるままに昨日までの「同志」をかくも簡単に実名を並べて「告発」できる元政治局員!――「百万人署名運動」などと称した走狗かくし≠フ延命策をことごとくわが同盟に打ち砕かれてきたことによって万策尽きた残存ブクロ派指導部は今、明らかに炉心溶融を引き起こし、組織総体もガラガラと音をたてて瓦解を開始しているのだ。

二、断末魔の残存走狗集団

 白井が「ドロボー清水一派」への怨念に取り憑かれて書きなぐっている残存ブクロ派組織の実態。それはわが同盟がすでに的確に暴露してきたこの集団の権力の走狗の徒党への転落の実態の一端を随所で物語るものである。とはいえ同時にその全体はといえば、白井が今日のブクロ派残党の実態をほとんど知らないまま警察権力に教えられたことを元にしてデッチアゲた物語り≠ナしかない。
 それというのも、警察権力も白井じしんも、自己防衛と自己保身のためにはわが同盟の暴露の正しさをすべて認めてしまう結果になるような「暴露」は絶対にできないというだけではない。そもそも白井は――われわれが当時から暴露しているように――七九年十二月四日に茨城県古河市にあったニセ『共産主義者』編集局兼中央出版局のアジトをわれわれが摘発・粉砕した闘い(『スターリン主義の超克』第四巻『党派闘争論』一九二頁を参照)によって野島とともに打ち砕かれ、すでに一九八〇年以降は実質上政治局から外されているのであり、その後の残存ブクロ派指導部の実体の変動や動静について具体的にはほとんど知らないのだ。このゆえに、白井の「暴露」なるものが、今日のブクロ派残党の全貌を明らかにしているわけではまったくないのである。
 あくまでも右のことを差し引いて見てゆくならば、――われわれがつとに暴露してきた通り――ブクロ派組織の内部でいかに醜悪でグロテスクでむごたらしい残存官僚間の抗争がくりひろげられており、そして思想的・組織的腐敗がいかに極点にまでたちいたっているかの一端が、そこで曝けだされていることは間違いない。

「清水―天田体制」のインチキ性

 (1) まずなによりも決定的なことは、今日の残存ブクロ官僚どもが九七年末に開いた「二十全総」なるもので決定したと称している「清水議長―天田書記長」という現指導体制(白井は、九五年の「十九全総」においてだと主張している)、これが仮構でありインチキでしかないことが、白井の口をつうじて暴露されていることである。
 すなわち白井は、九二年春に自分が「仲山本(『資本論の研究』)を批判した」ことに清水が激怒し「××(殺す)」とわめいたその「四十日後」に「眼底出血という生理学的な動脈硬化の症状を発病」して「大脳の活動に障害が起き」「改善不可能」な「精神的退化」におちいり「もはや指導部の重責に耐えうる健康をもたない」状態におちいったことを暴露している。これは決定的なことではないか。「清水議長」なるものは、組織の延命をはかるために、わが党派闘争ならぬ党派闘争のまえに完敗し打ちのめされたあげく精神病院への入退院をくり返す廃人となって久しい清水丈夫の名前だけを権威づけ≠フために利用したにすぎないことを、わが同盟は暴露した。この正しさを、「発病」というケチな一点だけからであれ、白井じしんが裏づけてしまっているのだ。
 もちろん白井が清水の発病を「九二年」としているのには、ゴマカシ・スリカエがある。彼は民族問題や仲山の本をめぐる「私と清水丈夫との理論的対立」なるものを、なんとも笑うべきことに「労働者階級と人民総体のたたかいの方向を決定する……根本的な理論問題」であるなどと大仰におしだしたい底意から、「理論的対立」と清水の「発病」とを作為的に時期的につなげるストーリーをデッチあげたのに違いない。(ところがなんと白井は、パンフレットでは、九三〜四年ころまでは政治局員として清水と対等に「理論論争」をくりひろげていたかのように書いて見せている。だが果たせるかな、「こういう綱領的な理論の討論を密室のなかに閉じ込めて私を孤立させ排除することだけを追求し」などと書いてしまってもいるわけなのだ。自分を格好よく見せたい一心で、時間を十年後ろにタイムスリップさせた物語りをつくっていることは歴然としているではないか。)そもそも、清水が精神病院に入退院を繰り返すことになったその出発点は、彼がわが党派闘争ならぬ党派闘争に完敗して失脚・逃亡した七九年初めにさかのぼることは、われわれがつとに暴露してきたことなのだ(前出『党派闘争 論』所収「ブクロ派解体闘争の勝利」などを参照)。
 だが、その発病の時期をごまかしているとはいえ(詳しくは前述の本紙第一五七九号参照)、清水が「政治活動に耐えない」廃人と化していることを白井がみずからの口を通して認めたことは、残存ブクロ官僚による指導体制づくりの姑息きわまりない詐術的のりきり策動の一端を暴露すると同時に、現存ダメダ指導部がその任に堪えるものではないことを暴露したものでもある。もちろんこのことは他面では、もはやブクロ派「創設時」の政治局員(本多・野島・陶山・北川・山村・清水)の誰一人として残存ブクロ派中央には存在しないことを認めたことをも意味するわけなのだ(ブクロ官僚どもはこれまで、野島三郎のダウン・逃亡も秋山勝行の失脚も必死に隠蔽してきた)。
 白井のこの暴露≠ヘ、ただたんに「ドロボー清水」への怨念に取り憑かれてのことだけではない。わが同盟への恐怖心が高じて「厭戦思想」に取り憑かれていたことと、前述した七九年十二月に編集局アジトを爆砕されたこととの責任をとらされて、白井は八〇年以後は政治局から外され前進社に幽閉されてきた。この処分を「革共同規約を無視して」指示した清水・北小路・高木らへの積もり積もった怨念にもそれは深く根ざしているわけなのだ。

オソマツきわまる残存指導部の実態

 (2) 白井は、北小路や吉羽・水谷・藤原・甘糟・金山らについて触れていないだけでなく、八三年いご実質上書記長をつとめてきた陶山健一についてさえまったく言及しておらず、そもそも「十九全総路線」なるものを陶山がうちだしたということさえも明らかではない。いや、清水が政治指導のできない回復不能の病いに陥ったと言いながら、「十九全総」いご今日まで一貫して最先頭で指導しているかのような文字どおりの妄想を書きつらねてさえいるほどなのだ。白井の「暴露」なるものがこうなってしまうのも、白井の頭が清水にたいする怨念の塊になっていることと、八〇年以後は政治局員から降ろされてきたからにほかならない。
 このような代物であれ、陶山(九七年一月死亡)も北小路(アルツハイマーでダウン)もすでにいなくなった今、残存ブクロ派にはいかに二流、三流のズッコケ指導部しか残っていないかの一端もまた、白井の口から語られている。
 曰く、七三年9・17「鶯谷戦闘」で「カクマルに大敗北」を喫して失脚し、十年後の八三年に「復帰」したとたんに「機密文書をすべてカクマルに奪われ」るとともに女手配師との浮気現場の写真を「解放」に暴露され、さらに八六年には一〇〇〇名ものシンパの名簿を「一瞬にして階級敵に売り渡した」高木徹。この彼にたいする「怨嗟の声が党内に満ち満ちている」。そしてこの高木に「十九全総」の冒頭に「押さえがきかない」人間へのみせしめとして「つるし上げ」られた天田。この天田はわれわれが「ダメダ」の名を与えている通り「そもそも実力者ではなく高木のロボット」にすぎない……等々。
 もちろん白井は、高木がまたまたダウンしていることを知らぬままこう言っているのであるが、詳しくは後述するとして、高木のようなスパイ分子やダメ人間が残存ブクロ派を「指導」してきているとは、まさにお笑い種ではないか。彼ら中央官僚どもの活動の実態はといえば、ますます自己運動に拍車をかけている「労組交流センター」や「諸戦線」のダラ幹どもの使い走りを演じているにすぎない。ブクロ派組織はまさに指導部なき寄り合い所帯と化しているのだ。

出入り自由≠フスパイ集団

 (3) それだけではない。現実には高木はすでにブクロ派残存指導部のなかにはいないことを知りもしないで、権力にガセネタを注入されるままに白井は、「十九全総」の人事で清水議長、天田書記長だけでなく「議長代行」に高木徹までもが任命されたのは「途轍もない人事」だと憤慨しつつ、次のように非難を書きつらねる。
 曰く、「彼〔高木〕は七三年九・一七戦闘で大敗北を喫して、責任を問われて政治局から解任された人物」、「約十年たって復帰した」直後に引き起こした八三年の二大事件(前述の「機密文書をカクマルに奪われた」失敗と「浮気」現場の写真を「解放」に暴露された件)については「未だに組織にはなんらの報告も釈明もしていない」、さらに八六年末に「非合法体制の強化のために」中央にシンパの名簿が集中したとき、「それをなんと一〇〇〇名の規模でゴッソリ警察に奪われるという、スパイにも不可能な党機密の売り渡しをやってのけた」が、にもかかわらず「この大失敗の責任にまったく不感症」であるばかりか「この事実の深刻性の前にたじろぐ者とは断固としてたたかう」と「信じられない開き直り」をした、……等々。
 「十九全総」で高木が天田を「つるし上げた」のは実は清水の差し金であった。「ほんとうは高木が天田にたいして押さえが効かないことを知った清水がわざわざつるしあげを演出させた」のだが、これは「かつて本多書記長が清水の会議指導について『いつも仮想敵国をつくってつるしあげている』と批判していた」まさにそのやり口だ、と。
 そしてさらに、「十九全総」の「出席者全員が腐敗した権威主義者、清水一派への無批判的追随者にすぎな」かった、云々と。
 右にみた白井による高木批判をはじめとする数多の言辞は、清水にたいするのと同様の私怨がむきだしになったものではある。だが、同時にそこには、われわれが暴きだしてきたブクロ派組織の政治ゴロ集団化した実態があけすけに語られているではないか。すなわち、われわれの謀略粉砕・走狗一掃の闘いに敗北するたびごとに、ブクロ官僚内でいかに醜い責任のなすりあいと政治的処分をくだすことによるのりきりがはかられてきたか、そして処分≠ウれたものはダウン・逃亡をはかるが何年かのちにはなしくずしになにくわぬ顔で「復帰」することが許されてきたこと――その場合ほとんど例外なく権力のヒモがついてくる。また、組織会議はといえば、失敗や誤りの真摯な自己批判や相互思想闘争とはおよそ無縁な・自己正当化と居直りの応酬か政治的ダメージのぶつけあいでしかないこと。そして下部同盟員は三猿主義を決めこみながら時々の実権を握った「指導部」に盲従するだけであること。――およそこのような実態が露わにされているのである。
 いやそれだけではない。ほかならぬスパイの典型的人物である高木がブクロ派指導部に出入り自由≠ナあることのさまを白井は描き出している。このことは、「非公然・非合法の党」とは名ばかりの・警察権力のスパイに明け放たれガラス張り化された残存ブクロ派中央の、醜悪にして無残極まりない実態を暴露したもの以外のなにものでもない。
 もちろん、白井は口をきわめて高木を非難していながら、そもそも高木が一九六二年の国際学連執行委員会の帰途の船中において「X博士」と称するCIA要員に紐付けされて以来のスパイであるという決定的事実を押し隠している。ブクロ官僚の一員としてそれを黙認・許容してきた罪業を隠蔽すると同時に、権力の庇護下にある現在のおのれの利益のために。
 だが考えても見よ! 十年もダウン・逃亡していたあげく「サミット弾圧強化」の情勢下で突如復帰した人間が、ようやく集まった一〇〇〇名ものシンパの名簿を手にした途端に、それを権力に「奪われ」「非合法態勢が不可能になった」とは? あまりにも偶然が多く重なった・出来すぎた話ではないか?「スパイにも不可能」ではなく、これこそ正真正銘のスパイの仕業ではないのか。もとよりこのような所業に平然と手を染めることができるのも、これが摘発される心配がないばかりか「居直り」さえもが可能な組織であることを高木が熟知しているからではある。しかもあげくの果ては、清水がこの高木を「議長代行」に任命したというのだ。
 高木「議長代行」などは存在しないことはともかく、今日このときに、スパイ高木の自由な出入りの実態が白井によって恥ずかしげもなく晒けだされたのは、笑うべきこととは言え、記念するにあたいする。
 もとよりこれは高木だけのことではない。北川、唐牛、清水、陶山、北小路、……あげればきりがない。陶山にいたっては、そもそも第三次分裂の以前に、「6・25問題」(革共同を統一戦線同盟に解消する陰謀)を粉砕されて消耗し、唐牛と共に「国内亡命」を決め込んで責任追求を逃れようとした前歴≠フ持ち主でもあるのだ。これらはとうの昔からわれわれが暴露してきたことである。
 一九七四年五、六月に、二度の法政大会戦でわが全学連部隊に中核派軍団を壊滅され、組織崩壊の危機に瀕したとき、「権力をも利用する」とうそぶいて権力の謀略襲撃の追認に手をそめた本多の指導のもとに、そして「カクマル打倒こそ日本革命への最短コース」というシミタケこと清水の絶叫に煽られるままに、ロシア革命における黒百人組の今日版とも言うべき反革命集団に転落したブクロ派。その残党はいまや、その総体が――白アリに食い荒らされた家屋と同様に――スパイどもに侵食されきった走狗集団と化しているのだ。

十九全総路線への批判は皆無

 (4) ところで、白井がポジティブに主張していることはといえば、本多が指導した一九六六年の第三回大会の路線と「〔七〇年〕七・七自己批判」の路線に戻れということ以上ではない。前者は「スターリン主義=帝国主義の補助的支柱」論で<反帝・反スタ戦略>の<反帝イズム>への変質を正当化し基礎づけようとした代物であり、後者は「血債の思想」と称して被抑圧民族迎合主義への転落を画した記念碑的≠サれであることは言うまでもない。
 だがそれにしても、「三回大会選出の全国委員・政治局員としての私」が、亡き書記長・本多指導下の右のような路線を再興し「革共同・中核派を再建」するという決意≠披瀝してみせ「十九全総批判」などと銘うちながら、白井は、実は十九全総路線そのものを批判しているわけではない。権力の走狗としての本性を必死でおし隠しながら「百万人署名運動」をシンボルとしておしたてつつ労働運動へのもぐり込みと市民団体を装った運動体≠ノ組織そのものを改変することに最後の延命の道を賭けている残存ブクロ派のダメダ指導部。この現在直下のダメダ指導部の路線――今日「六月の挑戦」と称されている、九〇年に陶山によってうちだされたそれ――にたいする批判を白井は、なにひとつ展開していない、いやしようともしないのだ。
 もとより右のことは、語るもおぞましいかぎりであるとはいえ、彼にとっては唯一の「知的」生産物たる民族論文(「七・七自己批判」を基礎づけようとして書いたが、八九年に清水に「民族主義」と弾劾されて「出版を拒否された」それ)を世にだすことこそが、唯一最大の関心事であるからにほかならない。(なんとこの民族論文は、暴露パンフ執筆への見返りとして、市中の出版社から刊行してもらうという警察権力の大恩に浴することとあいなったわけである。)
 だがそれだけではない。もともと「分派闘争」をやる気など毛頭ない白井は、残存ブクロ派の今日の路線そのものには興味がなく批判する必要性も感じていないのだ。もっとも、たとえ批判しようとしても、権力に投降したスパイ白井に、そのような内容があろうはずがないのであるが。

三、残存ブクロ派を解体し埋葬せよ

 「動脈硬化の病いの清水、組織機密売り渡しの高木、ドロボーの尖兵の天田、この三人を打倒しないかぎり中核派に将来はない」――このように私的怨念をむき出しにして「清水一派」の打倒を叫ぶ白井。しかし本多の位牌を守ると称する白井じしんが、すでに見たように警察権力の掌中にガッチリと握られているのである。
 白井の警察権力へのいとも簡単で無残な投降は、しかし決して偶然にもたらされたものではありえない。そもそも、白井はすでに十年前に民族論文を書いたその時から、思想的に完全にブルジョア転向を果たしていたのだ! 実際、彼はみずからの唯一の「知的」生産物を自賛してこううそぶく。
 「私はボリシェビキの意識に根づよくあった大ロシア民族主義」が「革命後も止揚されず」「一国社会主義論の素地をつくったとみなす」と。被抑圧民族迎合主義を、「血債の思想」を基礎づけるというそれじしん反マルクス主義的な意図から発して、ロシア革命政権樹立後のボリシェビキ党の少数民族政策の問題性を解明したと称する結果がこれなのだ。これはプロレタリア国際主義にのっとってロシア・プロレタリア大革命を勝利に導いたレーニンとボリシェビキ党にたいする、百パーセント反革命の立場からするデマと罵倒と全否定以外のなんであるか! これでは、走狗集団の頭目・清水や陶山でさえも刊行禁止処分に付さざるをえなかったのは無理からぬところである。この論文が今日、ほかでもない警察権力のはからいで日の目をみたのはまさに必然であったと言える。
 だがこうなるのもムリはない。今日、彼が「ドロボー清水」を非難する基準は「基本的人権」であり「知性主義」であった。それだけではない。彼は清水一派の「官僚主義・権力主義・反知性主義」に対置するになんと次のような言辞を弄する。「フランス大革命の宣言した自由と平等、思想と言論の自由は、革命党においてこそ十全に保証されるべき」「それこそ党内民主主義の原点」であるべきだと。自由・平等・博愛の階級性を暴きだすマルクス主義の拠点を完全に喪失している白井の立場が、ブルジョア的個人主義に・組織論的には自由分散主義に転落していることは歴然としている。しかもそれにとどまらず、彼は住居破壊=基本的人権破壊=スターリン主義と直結したあげく次のようにさえも口走るのだ。「いかなる政府も国民を保護するのがその仕事である〔がソ連政府はそうしなかった〕」「一般社会は中核派よりももっと民主主義的であり、人権感覚も先進的である」と。これが民主主義の形式をとったブルジョア階級独裁国家の賛美、それへの思想的屈服の宣言でなくて何であろう。
 本多の「十人十色」の組織観によって変革されないまま温存された白井の小ブルジョア的地金が、清水らへの反発と怨念によって頭をもたげ、権力の懐に飛び込むことによって開花したものが、これである。
 白井の地金――そう! もともとこの男の反スターリン主義運動の理解の内実は、矮小な「知性」と「自由」を保障する運動というものでしかなかった。だから革共同書記局員でありながら、大学院の受験勉強のために仙台の姉のところに足しげく通ってそのたびに任務を放棄したのだ。〔第三次分裂のあと、本多に入れ知恵されて白井がどのように探究派時代の闘いを「総括」し反スターリン主義者としての背骨をつくる闘いを足蹴にし清算したかについては、土橋満男「反スターリン主義運動の負の遺産=\山村克とその歴史の偽造について」『共産主義者』第四一号を見よ。〕

白井を「スパイ」と断罪できぬ残存ブクロ派

 だが、元ブクロ派政治局員のこのような無残きわまるブルジョア転向が社会的にも明らかとなり、わが同盟が間髪を入れずにその実態と本質を暴露してからひと月もの間、ダメダ指導部は死の沈黙を続けた。このことじしんが、残存ブクロ派官僚どもがうけたショックと動揺と混乱の深さを雄弁にものがたっているではないか。(本紙第一五八一号参照)
 すなわち、スパイ通信第一九一九号でようやく「白井朗を徹底断罪する」という声明が出たとはいえ、そこでは白井のパンフそのものについて一言もふれないだけでなく、白井が書き連ねているブクロ派官僚間の醜悪な抗争についても、わが同盟のより根底的で正確無比な暴露にたいしても、何一つ対応できないありさまである。三猿主義を強制することでかろうじて封じてきた下部の疑問や批判を呼び覚ましてしまうがゆえに。
 だがそれだけではない。白井の右に見たような・到底看過できないはずの数々の反革命的言動にカミツクことさえもまったくできず、廃人シミタケにふさわしく、すり切れたステロタイプの呪文を力なくくり返しているだけなのだ。
 だが、なぜ白井の反革命の言辞をそれとして断罪できないのか。それはほかでもない、走狗としての正体をおし隠してブクロ派を「市民団体」を装った運動体に改変するために現に今ダメダ指導部が提起しふりまいている路線・イデオロギーの内実それじしんが度しがたいまでに右翼的・小ブルジョア的に変質をとげているからなのだ。みずからの路線・イデオロギーを否定することなしには白井を批判することもできなくなってしまっているわけなのだ。「百万人署名」の旗をおしたてて残存下部同盟員をひきまわしている市民づらをした運動しかり。「階級的労働運動」と称しての経済主義一辺倒の労働運動へのもぐり込み策動しかり。ドブ板議会選挙闘争しかり。
 さらに決定的なことは、権力の懐の中で「十九全総」の中身をはじめとして組織中枢の実態まで暴露している白井にたいして、「転向した」「反革命だ」と言うだけで「スパイ」という断罪を浴びせられないでいることである。これは清水、高木を先頭に残存ブクロ派組織のなかにスパイが広く深く入り込んでいることを自己暴露するものであると同時に、謀略グループが白井を活用しての用済みスパイ処分≠ノのりだしたことに彼らスパイどもが恐れおののき震撼しているからでもある。
 廃人清水以下の残存ブクロ派中枢がこのように動転し断末魔の悲鳴をあげている理由は以上にとどまるものではない。何よりも、三猿主義を強制されていた中間官僚・手配師や下部同盟員・活動家のなかにわが同盟の暴露が浸透し、官僚どもへの疑問や反発が、そして動揺と離反が一気に広がりつつあるからにほかならない。
 わが反スターリン主義運動から脱落・逃亡したあげく権力の走狗集団に転落したブクロ派の最期の鐘が鳴っている。今こそわが同盟は、断末魔の残存ブクロ派を解体・一掃する巨弾を仮借なく撃ち込むであろう!

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