日教組本部の闘争放棄を弾劾し 東京四単組執行部の「公正評価」「本人開示」要求運動をのりこえて闘おう! ◆「日の丸・君が代」の強制反対! 「2・1人事考課導入反対中央総決起集会」に結集したすべての組合員のみなさん! 東京ではすでに昨十二月十六日、「教員の人事考課に関する規則」が都教育委員会において決定された。この決定にもとづいて、都知事石原の命をうけた中島教育長は、「人事考課を実施するために準備をすすめるのは当然だ」などと傲然と言い放ちながら、四月実施にむけて評価者訓練を開始している。 いったいなぜ、かくもやすやすと「人事考課制度」が導入されようとしてしまっているのか? それは、日教組本部ダラ幹どもが、「東京の闘いを見守る」などと称して、大衆的反撃の闘いを一切組織化してこなかったからではないか。じっさい、日教組本部は、下部組合員からの突き上げを吸収するために、まさにそのために「人事考課対策委員会」をかたちばかり設置したにすぎなかったのだ。むしろ彼ら日教組本部ダラ幹どもは、C磯のアワビDにも似た心境で、なんと「中島教育長と日教組・東京四単組各委員長とのCトップ会談D」などというかなわぬ夢を追い求めていたのだ。 このような日教組ならびに東京四単組の執行部の足もとを見透かして、都教委は「ヒアリングでも制度を覆すような意見はなかった」などと称して、規定方針どおりに四月から「人事考課制度」を実施しようとしているのだ。この背景には何があるのだろうか。 文部省の「教育再編」を使命感に燃えて推進する「ガイドライン関連法」「組織犯罪対策法」「国旗・国歌法」をはじめとする反動諸法案を強行的に成立させた日本政府・ブルジョアジー。彼らは、欧米帝国主義との経済争闘戦に打ち勝つためにも、「軍事・政治大国」として飛躍し、「技術立国」としてみずからを確立することを日本国家の至上目標としている。そのために彼らは、教育基本法の改悪をも射程にいれて「教育改革国民会議」を発足させるとともに、それをテコにして「伝統的文化国家日本」の一員として、「日本人の魂」を持った国民を、つまり「国益」優先を行動原理とする「臣民」を創り出そうとしているのである。 そればかりではない。H2ロケット開発の失敗、JCO臨界事故、新幹線コンクリート壁崩落事故などに示されているように、「技術立国日本」という国家目標が風前の灯になっている。このことに、独占ブルジョアジーや政治権力者どもは、焦燥感にかられ危機意識を昂じさせているのだ。このことのゆえに、中曽根康弘などは「教育改革はいまや革命的改革でなければ間に合わない」などと叫びたてているのだ。新たな技術開発を担いうる「創造力のある超エリートを育成せよ」と! 今や政府・文部省は、このような「教育改革」を使命感に燃えて推進する教師を、校長や教頭などの管理者に従順につき従う教師を、有無を言わせず大量に創り出そうとしているのだ。「人事考課制度」の導入こそ、まさにそのためのものにほかならない。 「自己申告制度は双方向的で公正な評価」!?今回導入されようとしている「人事考課制度」においては、文部省の意向をうけた校長の掲げる「学校運営目標」に沿って、教職員が各自の目標を「自己申告」する(Plan)。これにもとづいて実践する(Do)。その結果を自己評価する(See)。これらの〈プラン・ドゥー・シィー〉の全過程が、校長や教頭などによる「面接」や「授業観察」をとおしてチェックされコントロールされるのだ。こうして教職員の「仕事」は校長や教頭によって五段階に「業績評価」され、この「評価」の結果が賃金や処遇(校内人事・異動・管理職任用など)に反映されるのだ。 このことからして、他人よりも「よりよい評価」を得ようとして、教師は互いに競争させられる。それだけではなく、自らがたてた目標であるがゆえに、この目標をなんとしてでも達成しようとして、逆に自分自身が目標に縛られることにもなる。たしかにこの目標は、外観上形式的には、あたかも「自発的」なものであるかのようにみえるのだとしても、このC自発性Dはあくまでも強制されたものであって、それは「外的合目的性」に規定されたものでしかないのだ。 にもかかわらず、日教組指導部は「自己申告制度は双方向的なものであり、評価できる」などと賛美し、「公正な評価」のためにと称して、「本人開示や不服申請」「苦情処理」などを当局にお願いしているにすぎないのだ。たしかに、都高教執行部ダラ幹どもは「人事考課制度の導入にはあくまで反対であって、条件闘争には入りません」などと強弁してはいる。だが、中島教育長の「人事考課は先生方の能力開発のための制度である」という言辞に彼ら都高教執行部は唯々諾々と従っているだけではなく、みずからは「給料や人事に反映させることには疑念をもっている」(川上日教組委員長)などと称している。給料や人事にはねかえらなければ制度の導入それじたいはいいということなのだ! そして彼らはあらかじめ闘争の収拾=「条件」(落としどころ)をひねりだすことに腐心しているではないか(「都高教新聞」一四四二号を見よ)。 「地域に開かれた学校づくり」を率先して推進するこのような「人事考課制度」の導入に先んじて、現に東京ではすでに、昨年「校長のリーダーシップの確立」と称して「管理運営規則」が改悪された(校長−教頭−主任による運営体制の強化、職員会議の補助機関化など)。このもとで、「国旗・国歌法」の制定にもとづいて職務命令による「国旗掲揚・国歌斉唱」が強要され、これに抵抗する教員にたいしては見せしめ的処分すらもが行なわれているのだ。 また都教委は、「教育の機会均等」という戦後教育の基本理念にもとづいた学校制度を真っ向から否定し、都立高校の「統廃合」=全面的再編を一挙に推進しようとしている。高校においてばかりではなく、いまやそれは小・中学校(義務教育)にまでおよんでいる。「特色ある学校づくり」とか「学校選択の自由化(通学区域のブロック化)」とかを掲げての、小・中学校の再編が急ピッチにおし進められているのだ(品川区を皮切りにして)。 また神奈川県では横浜市教委が校長にたいして、C「日の丸・君が代」チェック・シートDによる全教職員の思想調査をさえ指示しているのだ。 このような攻撃は今や全国で吹き荒れている。見よ! 広島では辰野教育長が、長年慣行として認められてきていたいわゆる「破り年休」、この組合の既得権を剥奪するために、じつに一三一一人もの組合員にたいして戒告処分の攻撃に打って出てきているのだ。三重県でも「勤務時間内の組合活動」にたいして既得権剥奪の攻撃がかけられている。大阪でも「人事考課制度」が提案されようとしているのだ。 にもかかわらず、日教組本部は全国各地で吹き荒れている攻撃にたいして見て見ぬふりをして事実上容認し、C各県教組と当局の関係があるからDなどと各県教組まかせにして、一切の反撃を放棄しているのだ。そのようになってしまうのは、まさに「文部省のパートナー」=忠実な下僕として、政府・文部省や教育委員会のすすめる「教育改革」に積極的に協力することを表明しているからなのだ。 「本人開示」「苦情処理」要求運動をのりこえてたたかおう!結集したすべての組合員のみなさん! 「自己申告制度は双方向的なものであり評価できる」などと人事考課制度そのものを肯定し美化している日教組本部ダラ幹を断固として弾劾しよう。 「『人事考課制度』導入を許さない」などと称しながらも、人事考課制度の導入を実質上認めたうえで、「給与・人事などへの反映を断ち切る闘い」なるものへと闘いを歪めている都高教執行部。同様に、制度の導入を容認したうえで「公正な評価」を求める「本人開示」「苦情処理」要求運動へと歪曲している東京教組執行部。このような都高教ならびに東京教組執行部がつくりだしている運動をのりこえて、われわれは人事考課制度反対闘争を左翼的・戦闘的にたたかおうではないか! そしてまたわれわれは、「開かれた学校づくりのために」と称して「父母との共闘」に血道をあげ、組合員を日本共産党の票田開拓のための駒として利用し引き回している全教・都教組の日共系ダラ幹を弾劾し、かれらの議会主義的かつ大衆追随主義的な運動をのりこえてたたかうのでなければならない。 結集された組合員のみなさん! われわれは、人事考課制度導入を阻止するためにたたかうだけではなく、卒業式・入学式の「日の丸・君が代」の強制反対! 学校管理・運営規則の改悪反対! をも掲げてたたかおうではないか。また、広島での「破り年休」を口実とした一三一一人への戒告処分(いっさいの既得権の剥奪)、神奈川県でのチェック・シートによる組合員の思想調査の実施などの諸攻撃を組合員のたたかう力ではねかえしていこう。さらには、「教育改革国民会議」をテコとした教育基本法改悪反対、「地域に開かれた学校づくり」の名のもとになされる教育のネオ・ファシズム的再編攻撃反対をも掲げてたたかおう! 結集したすべての組合員のみなさん! 人事考課制度の四月導入を阻止するために、分会・支部から闘いの戦列を構築していこうではないか。 |
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