自称「左翼」の錯乱を弾劾し

ウクライナ反戦の炎を!



中央労働者組織委員会


 プーチンのさし向けた侵略ロシア軍にたいして、ウクライナの労働者・人民はウクライナ軍とともに懸命の戦いを続けている。彼らの勇猛果敢な戦いのまえに、いまやロシア軍は敗退しつつある。
 いまこそわれわれは、<プーチンの戦争>を最後的にうち砕くために、労働戦線からウクライナ反戦闘争の炎を赤々と燃えあがらせるのでなければならない。
 だが、日本の諸政党・既成労組指導部は、権力者らの「外交交渉」に期待しつつ避難民への支援金などを募ることに「ウクライナ支援」を解消している。日本共産党中央にいたっては、「平和の流れ」ができているなどとほざいて国連への幻想を煽り、反戦闘争をいっさい組織化しようとはしない。彼ら転向スターリン主義者は、参議院選挙に向けた票田開拓に没入しているのであり、その「票」ほしさにみずからとプーチンや旧ソ連との区別だてに狂奔しているありさまなのだ。
 また「連合」および「全労連」傘下の諸労組のなかには、今なお旧ソ連邦への郷愁≠もつ役員や活動家が存在する。彼らは、「西側メディアはフェイクだ」などと喧伝して、ロシア軍の残虐行為から労組員の目をそらすことに躍起となっている。彼らは、スターリニストの末裔にして「現代のヒトラー」プーチンによる世紀の犯罪をまったく弾劾できないのだ。
 いまこそ革命的・戦闘的労働者は、腐敗を極める既成労組指導部をのりこえ、たたかう全学連の仲間と連帯して「ロシアのウクライナ侵略戦争反対」の反戦闘争を断固として創造しなければならない。そしてこの闘いを全世界の労働者・人民に波及させていくのでなければならない。


T ロシアのウクライナ強奪戦争の敗北とその根拠

 (1)ロシア侵略軍の敗北

 ロシアの侵略軍は、ウクライナ軍とウクライナ労働者・人民の戦いのまえに、いまや敗退の急坂を転げ落ちはじめている。
 東部ハリコフ付近では、ウクライナ軍がロシア軍を撃退し国境まで押し返している。この勝利は、アゾフスターリ製鉄所に八十数日にわたって立てこもりロシア侵略軍の一割にあたる一万数千人をマリウポリに釘付けにしたアゾフ連隊などの英雄的な決死的戦いぬきにはありえなかった。まさにこのゆえに、処刑・拷問・収容所送り・反ウクライナ宣伝への協力の強要といった苛酷な前途が待ちうけていようとも、「任務を完了した」彼ら・彼女らの表情はすがすがしいのだ。
 キエフ攻略戦に続く東部戦線でのロシア軍の敗退は、二〇二二年五月九日の対独戦勝記念式典――第二次世界大戦における「ナチスへの勝利」とロシアへの「愛国」を謳う最大行事であるこの式典におけるプーチン演説のなかに、はっきりと示された。そこにおいてプーチンは、「脅威が国境付近にあるなかで〔ウクライナへの『特別な軍事作戦』は〕唯一の正しい判断だった」などと弁明し、ロシア軍の戦死者にたいして対独戦の戦死者と重ねあわせつつ「追悼」と「感謝」を述べることに終始したのだ。
 いまロシアでは、戦争の長期化にともなってロシア軍兵士の戦死者が激増していることが、人民のまえに次第に露わとなってきている。兵士の家族をはじめとして「早く戦争を終わりにしてほしい」という声が高まっている。国内のプーチンの支持率もジリジリと低下している。プーチン政権はウクライナへの侵略以来、反戦運動を徹底的に弾圧し何万人もの人びとを逮捕するとともに、政府を批判するメディアを廃刊・停波に追いこんできた。だがそれにもかかわらず、戦勝記念日の放送番組がハッキングされ「政府はウソつき」などと書きこまれてもいる。今も政府系メディアにプーチン批判の記事が掲載されている。「兵士の母の会」は、ウクライナ政府に息子の安否を問い合わせ、ロシア政府には「情報公開」を求めている。そしてロシアの労働者たちは、お札や緑のリボンに「反戦・反プーチン」と書いて配っているのだ。

 (2)敗北の根拠

 いまやロシア軍は、戦略的後退どころか敗退≠ェ露わとなっている。キエフ陥落・傀儡政権樹立というプーチンの当初の目論見が完全に破綻したばかりではない。「東部と南部の制圧とロシア化」という、キエフ攻略軍の壊滅ののちに転換した軍事戦略もまた、いまや破綻をとげつつある。ロシア軍はキエフ周辺から撤退し東南部に戦力を集中したものの、イジュームやハリコフでウクライナ軍に撃破されているのだ。
 ウクライナ軍に比して戦力で圧倒的に優位に立っていると言われていたロシア軍が、これほどまでに惨めな敗走を続けているのは何故なのか。
 それはまず第一に、ウクライナの労働者・人民が「侵略者を追い返せ!」と闘いの意志に燃え、一致結束して勇猛果敢にたたかってきたがゆえである。
 既存のウクライナ軍に加えて、志願してきた労働者・人民が軍や領土防衛隊に加わり、さらに村落・街などの自治体ごとに住民が首長のもとに自治組織をつくり結束して軍事的行動にたずさわった。道路標識を壊したりバリケードを築いたりしてロシア軍戦車をおびき寄せたり落とし穴に落としたりして集中砲火を浴びせる手助けをするなど、労働者・人民は自主的に臨機応変に軍事行動や準軍事行動に参加したのだ。「わが町から侵略者を追い出せ!」「プーチンの戦争を許すな!」「スターリンと同様のウクライナ民族圧殺を許すな!」という闘いの意志を燃えあがらせて団結してたたかってきたのが、ウクライナの労働者・人民たちなのだ。
 ロシア軍敗退の第二の根拠は、軍事戦略上の大失敗である。プーチンは、この戦争を始めるにあたって主客諸条件を完全に読み間違えた。彼は、二〇一四年のクリミア侵攻の「勝利」に思いあがり、「ウクライナ軍はとるにたりない」と思いこんだ。大統領ゼレンスキーも国民からあまり支持されていない今、一気にキエフを陥落させてゼレンスキーを暗殺してしまえばロシア傀儡の大統領を据えられる、などという計略をたてた。侵略をはねかえすために戦うウクライナの労働者・人民の団結力を、この小スターリン≠ヘ予測もできなかったのである。
 他面、ロシア軍の軍隊組織の士気の低さ・規律性のなさ・臨機応変に動けない機動性の弱さも、プーチンが予想だにできないことであった。ロシア軍の司令官たちは、軍隊を組織し兵士を教育するにあたって、旧ソ連時代と同様の上から下への一方的指令スタイルを護持している。それゆえに兵士たちは、指示・命令がないと動けないし、指示されたことしかやらないという体たらくになっている。
 また、ロシア軍の使う戦車や武器も故障が頻発した。元スターリニスト官僚やその親族たちからなる軍需産業の資本家どもは、ロシア軍司令部・将校たちと癒着し汚職を常態化している。彼らは、戦車のメンテナンスも手抜き≠オているのであり、これが戦時におけるエンストや武器の不具合を招いているのだ。
 第三には、軍事作戦上も、ウクライナの人民が軍に全面協力したことが大きい。
 ウクライナ軍は米・欧や東欧の国ぐにから供与された各種の情報提供や数かずの対戦車戦に有効な武器をもって戦っており、とりわけロシア軍将校たちの動きの詳細を掴んでいることがロシア軍中枢への大打撃につながったといえる。その場合、ウクライナの労働者・人民は自主的に手持ちの民間ドローン≠軍に提供したり、それで得た情報を自治体・政府にドシドシ提供したりしたのである。そして、ウクライナ軍と政府はそれを迅速に集約・分析して前線まで伝える機動的な指揮系統をつくっていたのである。
 こうしたロシア軍の軍事戦略上の破綻の実体的根拠は、「軍事」には素人の元KGB(ソ連国家保安委員会)たち(プーチンの元同僚のシロビキたち)が中心のFSB(連邦保安局)が、軍事戦略を立てかつ軍隊を指揮したことにある。戦場のリアリズムのないプーチンとFSBの面々による軍事的な情勢分析や戦略目標の設定などは、しょせん絵に描いた餅≠ナあったのだ。
 いまやロシア軍は、敗走しつつある戦地に追加の兵力をつぎこみ、それでもダメならまたつぎこむというアリ地獄のような泥沼に引きずりこまれつつあるといってよい。

U 死滅する「左翼」

 ウクライナという国家を破壊しその民族を抹殺しその土地を強奪してロシアに組みこむという<プーチンの戦争>――この「暗黒の二十一世紀」を象徴するかのごとき世紀の暴挙にたいして、全世界の左翼は断固としてたたかわなければならない。だが日本の・そして世界の「左翼」は、混迷どころか驚くべき対応不能をさらけだし、反マルクス=レーニン主義を露わにしてしまっている。

 (1)代々木官僚どもの腐敗

 日本のネオ・スターリニスト党たる日共官僚どもはいま、ロシアのウクライナ侵攻にたいして「国際法違反」となじり、「国連憲章守れの一点で」「世界は団結」しようなどと弱よわしくつぶやいている。彼らは、「国連の機能不全と無力」が誰の目にも明らかになっているにもかかわらず、「国連憲章を基準にしよう」などと喧伝しているのだ。プーチンの悪逆無道な侵略戦争にたいして反戦闘争を呼びかけ組織することを一切やろうとせず、ただただ国連加盟の各国権力者に期待し幻想を煽っているのが彼らなのだ。
 委員長の志位和夫は、七月参議院選挙に向けての「決起集会」などの場面で、恥ずかしげもなく言う――今日の世界情勢を「大局においてとらえるならば、平和の流れは着実に広がりつつあります」と。現にいまウクライナの地においてロシア軍による大量虐殺がおこなわれ第三次世界大戦勃発の危機さえ深まっているにもかかわらず、国連総会においてロシア非難の決議に一四〇ヵ国以上が賛成したことを「平和の流れ」として天までもちあげ、国連総会での各国権力者どものおしゃべりを事細かに紹介しているのが、志位なのだ。
 しかも志位は、「平和の流れ」という「大局的な見かた」こそは、「歴史は無駄に流れていない」という「党綱領の世界観」にもとづく考え方だなどと誇ってさえいる。
 現在ウクライナで、侵略者によってどれほど多くの労働者・人民の血が流されたと思っているのか。「社会主義(実はスターリン主義)」ソ連邦を解体し「資本主義ロシア」を復活させると同時に国有財産を簒奪したのが、かつてのスターリニスト・ソ連邦の権力者どもではないか。そしてソ連邦の元諜報員であり、いまや五〇万人のFSB員による強権支配体制を敷きそのうえに君臨しているのが「亡国ロシア」の「皇帝」プーチンではないか。このスターリニストの末裔たるロシア権力者への階級的憎しみもなく、呻吟する労働者・人民の血叫びも聞こえないのが、転向スターリニスト・日共官僚なのだ。
 ちなみに、ロシアのウクライナ侵攻当初、日共系学者の一部は、NATOとロシアの「どっちもどっち」論≠唱えた。これに慌てた代々木中央は、「プーチン政権の無法」を「キッパリ表明」しようと強調した。そして「〔ソ連の〕崩壊した体制は、もともと社会主義とは縁もゆかりもない覇権主義と専制主義の体制」であり、わが党は「旧ソ連の時代から覇権主義に反対してきた党」であるなどと、弁解に汗だくだくとなってきたのであった。
 彼らが旧ソ連との区別だてに汲々となり、挙げ句の果てに「平和の流れ」なるものの強調に逃げこんでいるのは、次のことにもとづく。すなわち、今日の彼ら日共官僚を突き動かしているのは、次の参院選で敗北すれば党に未来はない≠ニいう自己保身なのである。
 昨秋の総選挙について立憲民主党や国民民主党の内部から、「共産党と組んだから負けた」という声が高まり、選挙共闘の見直し・日共排除の動きが巻き起こっている。日共官僚が唱え実行してきた「市民と野党の共闘」の破綻が露わになっているのだ。
 こうしたなかで党の存亡をかけた@たる参院選挙での現有議席確保のために狂奔しているのが日共中央なのであって、ウクライナ戦争問題についての彼らの関心事は、保守層を含めた幅広い層に受けいれられる≠アとでしかない。まさにこのゆえに、彼らは、「プーチン=旧ソ連=共産党」の犯罪というキャンペーンに恐れおののき、自分たちとプーチンとの区別だてに躍起となっているのである。

 (2)いわゆる「リベラル知識人」の自殺

 日本国内の「リベラルな」文化人も「左翼的」知識人もまた、世紀の事件にたいする対応不能をさらけだしている。
 その第一の傾向は、ロシアのウクライナ侵攻だけを責めるべきではない。根本的にはNATOの東方拡大こそが問題だ≠ネどという主張である。そのなかには「西側はロシアとの間の信頼関係の形成に失敗した。だから戦争を予防できなかった」などというように、「戦勝記念日」におけるプーチンの演説と見まごうばかりの主張を展開している論者もいる。
 彼らの多くが、侵略者プーチンへの怒りをいっさい表明しない。そしてしたり顔で世界情勢≠竄辯ロシアの歴史≠竄轤評論したり開陳したりしているのである。
 第二の傾向は、「ウクライナの武装抵抗」について露骨に違和感を表明したり反対したりしていることである。
 彼らは、ゼレンスキーは「武器を取って祖国防衛戦争に立ち上がるように求めている」、これは「国家が自国民に命を捧げることを強いる」ことである、などと主張する。そして、今日のウクライナを七十七年前の日本軍国主義とダブらせ、「火炎瓶をつくり、徹底抗戦を叫ぶ大統領。〔これは〕太平洋戦争末期の悲惨な竹やり戦術と酷似する」と言う。なかには、「ウクライナがロシア軍に対して一切応戦せず、いわゆる『無血開城』をしていたとしたら、どうなっていただろう。……街は今ほど破壊されず、人も死なずにすんだのではないか」などと、「降伏」を勧める者まであらわれる。
 ロシア軍は侵攻以来、学校や病院や住宅や住民の避難所にまでミサイルを撃ちこみ、ブチャをはじめいたる所で残虐な殺害をおこなっている。これを目の当たりにしてもなお、「無抵抗の方が良い」というのか。何も抵抗せずに殺されろというのか。それは、戦争の悲惨は見たくないということであり、つまるところ大事なのは己れ自身の小ブル的な市民生活の安泰なのだ。
 既成諸政党や労組活動家(たとえば向坂派=旧ソ連派)のなかには、これらの知識人と癒着して、「ロシア軍の犯罪行為という宣伝に〔ロシア政府は〕反論済み」「ブチャはウクライナ側のフェイクだ」などと公言する輩もいる。ウソも百回言えば真実≠ニばかりにあらゆることについて「白を黒」と言いくるめる元KGBのプーチン、このプーチンの言をオウム返しするこうした徒輩もまた、非人間的ではないか。

 (3)中核派の錯乱

 もはやどこにも棲息していないし、労働者・人民にまったく影響がないとはいえ、今なお機関紙=スパイ通信だけは細ぼそと出している中核派――彼らが機関紙で書き殴っていることには、ただ唖然とするしかない。
 ロシアのウクライナ侵攻直後、崩壊して久しいニセ全学連のやっとこさ担ぎだしたデガラシ委員長・赤嶺や杉並区議の洞口らは、「ロシアへの経済制裁もウクライナへの武器供与も、世界戦争になるから反対」(赤嶺)とか「戦争に良い戦争も悪い戦争もない。一切の戦争反対」(洞口)とかと、血塗られた走狗のくせに小ブル平和主義(?)まるだしで実に気楽にしゃべりだした。だがこれでは「帝国主義戦争を内乱へ」「革命戦争へ」という中核派の唯一の党是である「戦争テーゼ」が吹き飛んでしまう。焦った官僚は、「とにかく悪いのは帝国主義だ」「戦争激化の元凶は帝国主義だ」とこじつけねばならない。そこで急きょ、昔の清丈テーゼ=「帝国主義のスカートにスターリン主義が巻き込まれる」などを参考にして、「バイデンがプーチンに戦争をやらせているのだ(!)」とか、「米欧を後ろ盾とする新自由主義者ゼレンスキーは、ウクライナ人民を逃げ場のない戦火に追いやった張本人だ(!)」とか、「ウクライナ戦争は……全世界で繰り広げられてきた新自由主義が大崩壊し、その全矛盾が戦争という形で爆発したものだ」とか、とわめきだした。プーチンへの非難が一切ないどころか、徹頭徹尾プーチンを擁護するとは! わが同盟との党派闘争に完敗して国家権力のもとに逃げこんだスパイ集団が、今なお左翼であるかのように装うために、ロシア権力者のまわし者なのか≠ニ疑うほどにプーチンに寄り添うとは! 錯乱の極みというしかないのだ。

 (4)世界の「左翼」諸潮流の荒廃

 ロシアによるウクライナ戦争をまえにして、「左翼」を自称する者が驚くべき混乱と頽廃を露わにしているのは、たんに日本ばかりではない。侵略国ロシアの旧スターリニスト党出自の「左翼」のほとんどが、いまやプーチンの軍事侵略に賛同し、翼賛政党と化してしまっている。
 ロシア連邦共産党はいまや「愛国勢力を結集せよ」「通敵分子を放逐せよ」などとファナティックにわめいている。ロシア共産主義労働者党もまた、ロシア軍の苦戦が伝えられだした三月に入るや、それまでの煮え切らない態度を一変させて、「ウクライナのファシスト的体制にたいする戦いは正当であり支持する」などと叫びはじめた。彼ら旧スターリニストは、ロシアの軍事的・政治的・経済的危機の深まり、ロシア国家存亡への危機的事態に直面して、二十世紀後半の米ソ角逐時代における大国ソ連「復活」の願望にとりつかれ、プーチンの大ロシア愛国主義にからめとられてしまったのだ。
 他方、まがりなりにもスターリニズムに反対してきたはずの世界のトロツキスト系の諸潮流もまた、腐敗と混迷を露わにしてしまっている。
 「ソ連=赤色帝国主義」論を掲げてきた修正派トロツキストであるクリフ派は、「ウクライナでの戦争反対」のスローガンを掲げている。「……での」という表現に示されるように、彼らは、誰の誰にたいする侵略なのかを意図的に曖昧にしているのだ。
 それだけではない。彼らは、「ウクライナでの戦争」は「帝国主義間戦争である」などと、観念的解釈丸出しの主張を開陳する。資本主義を復活させたとはいえソ連邦時代の官僚主義的システムの残存とスターリニスト官僚による国有財産の簒奪のゆえに今なおいわゆる発展途上国並みの経済力しかもっていないロシア。他方、ネオ・スターリン主義の党たる中国共産党が人民を支配する中国。彼らは、このロシアおよび中国を、ただ領土・版図・勢力圏の拡大をはかっていることをもって「帝国主義」などとみなすのである。あまつさえ、「NATOの拡大の方が問題だ」というように、彼らはいまやプーチンを公然と擁護するのだ。トロツキーの末裔のなんという堕落!
 こうしたなかで、世界のトロツキストのなかには、わが同盟がロシアの労働者・人民およびウクライナの労働者・人民に向けて発した呼びかけに触発されて、民族問題にかんするレーニンやトロツキーのスターリン批判に依拠しつつプーチンを弾劾する者(ランベール派)や、「ウクライナの武装抵抗支持」を掲げる者(マンデル派)があらわれてきている。だがそれは、今なお少数派にとどまっていることは事実である。われわれは、さらにわが同盟からの呼びかけを強化していかなければならない。

V 腐敗と混迷の思想的根拠

 このような「左翼」諸潮流の混迷と腐敗は、いったい何故にもたらされているのか。

 労働者・人民との共存共苦の欠如

 まずもって、常日頃は「労働者・人民の側に立つ」と自称している彼らが、現にいま侵略に苦しみ侵略と戦うウクライナの労働者・人民と共存共苦する立場に立っていないこと、これが第一の決定的問題である。
 プーチンの放ったロシア軍は、学校も病院も避難所も攻撃し、ウクライナ労働者・人民にたいする拷問・銃殺をおこない、女性を暴行・陵辱し、金品も農産物も強奪している。ロシア軍は撤退時にもあらゆる残虐・非道な行為をおこなっている。ロシアの権力者・プーチンによっておこなわれているこの侵略戦争に苦しめられているのはウクライナの労働者・人民であり、そのウクライナ労働者・人民が武器を持ってたたかっている。すべての自称「左翼」や知識人や労組指導部は、この労働者・人民と共に生きる立場に立ってウクライナ戦争問題と対決すべきなのだ。
 もしも自分じしんがウクライナの地にいたならば、敵を迎え撃とうとしている同志や家族や友人たちに「武器を捨てよ」と言えるのか。「その方が命が助かる」などと評論するのは、あまりにも観念的ではないか。
 いま直接的にはなお戦火が燃えてはいない「安全」に見えるこの日本の地において、見せかけの「平和」に安住する小市民的な現状肯定主義におちいっているのが、これら多くの日本の知識人たちではないか。
 そこには、「命が大事」と言いながらヒューマニズムはない。絶対的平和主義もない。ましてやプロレタリア的な現実的ヒューマニズムはまったくないのだ。

 誰が誰を侵略しているのか

 第二は、侵略しているものは誰であり・蹂躙されているものは誰であるのかという、この実体的対立を押さえないならば、あらゆる主張は錯誤に陥るほかはないということである。
 マルクスやレーニンを少しばかりかじった知識人のなかには、レーニンの「革命的敗北主義」をもちだして、「ウクライナの労働者の降伏」を基礎づける者まであらわれている。だが、侵略され蹂躙されているウクライナの労働者・人民に「革命的敗北主義」を説教するのは、戦争の勃発といったある種の極限的状況においてしばしば露わとなる知識人の観念性と反動性を示す錯誤といわなければならない。
 レーニンが述べているのは次のことである――「革命的階級は反動的戦争において自国政府の敗北を希望せざるをえない」と。帝政ロシアは自国の領土拡大を狙って第一次世界大戦に参戦し、「祖国防衛」の名のもとにロシアの労働者・農民を動員したのであった。この戦争をレーニンは、「祖国防衛ではない・反動的戦争」であり、「敗北を希望」すると論じたのだ。
 そして、侵略されている国については事態はまったく異なることを、レーニンは明確にしている。
 「……たとえば、明日にでも、モロッコがフランスにたいし、インドがイギリスにたいし、ペルシアか中国がロシアにたいして宣戦を布告したとすれば、こういう戦争は、どちらがはじめに攻撃をくわえたかには関係なしに、『ただしい』戦争、『防衛』戦争ということができるであろう。そして、社会主義者ならだれでも、抑圧され、従属させられ、同等な権利をもたないこれらの国が、抑圧者、奴隷所有者、略奪者の地位にある『強国』にたいして勝利をしめることに共感するだろう。」(レーニン『社会主義と戦争』国民文庫七八頁、傍点は引用者)
 ウクライナは今ロシアに侵略されているのであって、この地で労働者・人民が対ロシアの戦争を断固戦うことは、レーニン流に言うならばまさしく「ただしい戦争」なのである。
 労働者階級は、侵略され抑圧され従属させられている国や民族の内部においては、人民の先頭に立って戦わなければならない。そして、もしもそこに反スターリン主義革命的左翼が実存したならば、侵略者と通じた傀儡分子や買弁ブルジョアどもを駆逐しつつ統一戦線を結成しその内部で戦うのである。それがいまだ存在しない場合には、侵略者にたいする戦いのなかから・その内部から反スターリン主義のプロレタリア党が発芽することを促すように、この日本の地から呼びかけていくのである。わが同盟が、ウクライナの労働者・人民にたいして、「<プーチンの戦争>と戦うロシアの労働者・人民と連帯し、スターリン主義の虚偽性に目覚め、レーニンが現実にめざしたような真のソビエト共和国の再建に向かって前進しよう」と呼びかけてきたのは、まさにそのためなのだ。
 全世界の自称「左翼」の混乱と対応不能のなかで、まさにわが日本の反スターリン主義革命的左翼のみがこうした追求をなしえているのはなぜか? それは――
 @一九七〇年代に、「全世界的な米帝叩き出しの一環として日本の反戦闘争を闘う」という偏向の克服の過程において同時に、ベトナム解放闘争論を解明してきたこと。すなわち、われわれはわが身をベトナム人民の立場に移しいれ、革命闘争論的立場に立つとともに、民族解放戦争をわれわれののりこえるべき対象として措定しつつその内部からの<のりこえ>の構造を明らかにしてきたこと。
 A一九九五年のタヒチにおいて、FLP(ポリネシア解放戦線)が「フランス核実験の強行弾劾」の大衆闘争を「タヒチ独立・ポリネシア解放」の反権力闘争におしあげた際に、全学連・労働者代表派遣団は――「こんな経験は滅多にできない。FLPの指揮のもとで断固としてたたかえ」という同志黒田の示唆にもとづいて――マオイ人民と一体となって命懸けで空港占拠闘争をたたかいぬいたこと。
 そしてBイスラエル軍のパレスチナ自治区への大規模侵攻と「一超」帝国アメリカによるイラク攻撃準備の策動にたいして、アラブ世界・ムスリム人民に反米・反シオニズムの気運が高まっていた二〇〇二年、だが同時にイスラーム人民のあいだで宗派間・部族間対立が激化していたなかで、われわれは「イスラーム人民は、パレスチナ国家独立をめざして、イスラミック・インター‐ナショナリズム(イスラーム的族際主義)にもとづいて反米・反シオニズムの闘争を組織せよ!」という呼びかけを発したこと。
 この三つに貫かれているのは、共産主義者は常に必ず、虐げられた労働者・人民とともに在りともにたたかわなければならない、ということである。われわれはこれらをめぐる論議においてつねに、侵略され踏みにじられている労働者・人民の立場にわが身を移しいれ、<内在的超越の論理>にのっとって追求するべきことを、同志黒田とともに深めてきたのである。
 ちなみに、今日のウクライナ侵略戦争と太平洋戦争末期の沖縄戦とを重ねあわせて、「軍隊によって無辜の民衆が殺されている」がゆえに「ロシアの権力者にもウクライナの権力者にも反対する」という意見も存在する。かの沖縄戦において沖縄人民の四人に一人が、上陸した米軍ばかりでなく日本軍によっても死に追いやられたことは事実である。だが、今ウクライナでは国軍と領土防衛隊と武装する住民の自治組織とが一体となってロシアの侵略軍と戦っているのであって、「どこの軍隊が誰を虐殺しているのか」という実体構造から遊離して両者を重ねあわせるわけにはいかない。そもそも第二次世界大戦において、日本は侵略者であったことを曖昧にすべきではない。日本軍国主義の天皇制軍事ボナパルチズム権力が、「八紘一宇」の掛け声のもとに日本ナショナリズムを煽りながら中国大陸をはじめとした東アジアへの侵略戦争に労働者・人民を動員したことを、われわれは弾劾しなければならないのである。

 マルクス主義への無知蒙昧

 第三に、今述べたような主張を基礎づける≠スめにマルクスやレーニンの言説を一知半解のままにもちだして解釈主義的にアテハメる誤りである。
 たとえば、「ウクライナにもブルジョアとプロレタリアがおり、ロシアにもブルジョアとプロレタリアがいる」(イタリア・ロッタコムニスタなど)、だから「挙国一致はオカシイ」と言う。あるいは「労働者は祖国をもたない」という『共産党宣言』におけるマルクスの言葉をもちだして、ただただ「国際主義を」と主張する(トロツキストたちに多い)。だが彼らは、「労働者は祖国をもたない」というプロレタリア的存在についての本質論だけを振りまわしこれを現に今生みだされているウクライナ侵略戦争問題に投影しているだけであって、そこでは民族問題をマルクス主義者はどう考えるのかということを完全に考察のらち外に追いやってしまっているのである。
 レーニンは言った――「大国民族、抑圧民族にたいする不同権民族、従属民族の――大ロシア民族のような民族に対するウクライナ民族のような民族の――憤りと不信が、何世紀もの間に蓄積されてきた」「われわれは、民族的不信の名ごりにたいしては、きわめて慎重で、辛抱づよく、譲歩的でなければならない」と(「デニーキンにたいする勝利にさいしてウクライナの労働者と農民に送る手紙」)。
 ウクライナの労働者・人民のなかにあるナショナールな意識は、即否定できるわけではない。スターリニストによる数かずの迫害のゆえに、ウクライナ人民の民族意識がソ連邦やロシアへの怨嗟となって蓄積されていることを、われわれは受けとめて考察するのでなければならない。こうしたことの考察抜きに「国際主義」の原則を振りまわしても何の役にもたたないのだ。
 われわれは、日本の地においてウクライナ反戦闘争を断固としておしすすめるとともに、「反帝国主義・反スターリン主義」世界革命を実現するという立場に立って、ロシアの労働者・人民に「ウクライナ侵略反対・プーチン政権打倒」を呼びかけ、「スターリン主義のエセ・マルクス主義としての虚偽性」に目覚めるべきことを呼びかけている。
 そして、ウクライナの労働者・人民にたいしては、<プーチンの侵略戦争>をうち砕くための決死的闘いに熱い連帯を送るとともに、「ソ連型『コミュニズム』とはニセのマルクス主義でありスターリン主義であること」を自覚し「かつてロシア革命に『ウクライナ社会主義ソビエト共和国』として合流した、あの精神を呼び覚まそう」と呼びかけているのである。
 このようなプロレタリア的連帯の彼岸において、「それぞれの国にはブルジョアとプロレタリアがいるので挙国一致には反対」とか「祖国防衛主義反対」とかと並べたてる者たちは、ただただ頭のなかでだけマルクス・レーニンの言葉をもてあそぶにすぎない「観念左翼」にすぎず、現実には<プーチンの戦争>の随伴者となってしまうのだ。

 スターリン主義との対決の放棄

 そして第四には、スターリニズムとの対決の放棄という根本問題である。
 自称「左翼」や進歩派の輩がプーチンを事実上擁護するような言説をふりまくのは、帝国主義の西側諸国の権力者よりは、かつてはソ連であった「東側」のロシアの権力者の方がましであるかのような感覚に陥っているからではないのか。
 プーチンは一九九一年のソ連邦の崩壊を「二十世紀最大の地政学的悲劇」などと捉えたうえで、ロシアのウクライナ侵略はこれを失地回復するものであるかのように強弁している。自称「左翼」どもは、こうしたプーチンによる世紀の蛮行の居直り=正当化とまったく対決できない。それは彼らが、クレムリン官僚自身によるソ連邦の自己解体と資本主義ロシアの復活というこの現代史の結節点を、革命ロシアを埋葬した「歴史の逆転」としてとらえかえすことができないからである。根本的には、スターリニズムとの対決をまったくやってこなかったことのゆえであるといわねばならない。
 元KGBにしてスターリニストの末裔のプーチン――この男は、ソ連型「社会主義」への信奉などはもちろんなく、ただただ米ソ二大大国時代の「大国ソ連」への愛国主義的な誇りと執着に取り憑かれているにすぎない。
 だがしかし、ソ連邦を構成した諸共和国の人民は・そして東欧の人民民主主義諸国の人民は、「社会主義」ソ連邦におけるスターリン主義官僚どもによるすさまじい圧政のゆえに、西欧の資本主義諸国が掲げる「自由・人権・民主主義」を憧憬しこれに幻惑されて、いわゆる「西側」へ雪崩を打って駆けこんだのであり、こうして東欧の衛星諸国は倒壊し、ソ連邦もまた解体したのだ。
 そしてそれ以降、アメリカ帝国主義は、台頭する中国を横目で見ながら、みずからの経済的苦境をのりきるためにグローバライゼイション=アメリカナイゼイションをユーラシア大陸にも拡大しようとしてきた。グルジアにおける「バラ革命」(二〇〇三年)、ウクライナにおける「オレンジ革命」(二〇〇四年)、キルギスにおける「チューリップ革命」(二〇〇五年)、そして二〇一四年のウクライナにおける「マイダン革命」(「独裁者」ヤヌコビッチがデモ津波によって包囲されロシアへ亡命した事件――これを契機にプーチンはその後、ロシアによるクリミア半島の併合やウクライナ東部ドンバス地方の独立の策動を強めていった)。これらのバックにアメリカのなんらかの蠢きがあったことは確かであろう。
 またドイツ・フランスをはじめとする西欧帝国主義も、旧東欧諸国や旧ソ連邦構成諸国をEUおよびNATOへととりこみ、それらの労働者を本国の三分の一、四分の一という超低賃金と無権利でこき使ってきたのだ。
 だがこれらの「革命」と呼ばれる政変のなかで、怒りに燃えて決起した人民によって辞任に追いこまれたりロシアへの亡命を余儀なくされたりしたのは、すべて旧ソ連時代のスターリニスト官僚であり、ソ連崩壊後はいわゆる「独裁者」に転態していた輩なのだ。すべてを西側の陰謀と工作のせいにするのは、まさしく元諜報員のプーチンならではの言辞ではないか。
 EUとNATOの東方拡大という事態をまえにして、ソ連崩壊以降ロシアの「版図」がジリジリと削られていくことに怨念をつのらせたのがプーチンであった。そして今、ゴルバチョフやエリツィンらのかつてのクレムリン官僚どもがおこなったソ連邦構成諸国の独立を一挙に「卓袱台(ちゃぶだい)がえし」して、ウクライナを丸ごとロシアの中に編みこもうとしているのが、FSB国家に君臨する「皇帝」プーチンなのである。
 プーチンは今、ロシア革命のときにレーニンが「分離ののちに連邦制」を唱えウクライナに民族自決権を認めたことを「民族主義者をつけあがらせた」などと断じている。そして「もともとロシア・ベラルーシ・ウクライナは歴史的に一体であった」などとうそぶいている。プーチンは今、大ロシア愛国主義を鼓吹しそのためにロシア正教を活用するとともに、「大国・ソ連」への郷愁を煽るために人民にソ連のスターリン時代の赤旗を振らせてもいるのだ。
 プーチンはいま再びロシア革命を侮辱し、反革命者・ゴルバチョフやエリツィンに続いていま一度革命ロシアを埋葬しようとしているのだ。すべての世界の自称「左翼」たちは、このプーチンの犯罪に目を向けるべきではないか。
 そして、ロシアが今なお「亡国」の悲哀をかこっているのはなぜなのか。
 一九九一年ソ連崩壊後のエリツィン政権下で大混乱・無秩序・破産経済に陥った「亡国ロシア」において、元KGBのプーチンは謀略を駆使してチェチェン人民を血の海に沈め強い指導者≠演出して権力の座に就いた。プーチンは汚い手口で国有財産を簒奪し、自分の親族や取り巻きのシロビキを国有企業や新聞社などに送りこみ、FSB強権型支配体制を確立してきたのであった。そして、プーチンによるチェチェン人民にたいする謀略や国有財産を詐取する手口などを少しでも暴こうとした反対勢力やジャーナリストたちを次々に謀殺してきたのが、極悪非道なプーチンなのである。
 「罪深き己が過去をも免罪し 強権体制かたむるや プーチン」(黒田寛一『日本よ!』)
 われわれは<プーチンの戦争>を絶対に許してはならない。かつては「対ソ連」の軍事同盟であった北大西洋条約機構(NATO)やアメリカ帝国主義をはじめとする帝国主義権力者の悪は、われわれには自明のことである。ソ連邦崩壊以後に「一超」帝国アメリカは、ユーゴ空爆・アフガニスタン侵略・イラク軍事侵略など、まさに今日のプーチンと同様の国家テロリズムをほしいままにし無法の限りをつくしてきた。われわれはこれにたいして断固としてたたかってきたのだ。
 われわれは、スターリン主義・ソ連邦の崩壊以後の軍国主義帝国アメリカの「一超」世界支配とその終焉を、ネオ・スターリン主義中国の台頭と米中対決時代の到来を、<米―中・露>の東西新冷戦の激化を、すべて予見してきた。すでに昨秋以来、ロシアによるウクライナ侵攻に世界に先駆けて警鐘を乱打してきたのだ。今になって<プーチンの戦争>に驚き慌て、やれ「帝国主義間戦争」だのやれ「悪いのはプーチンを追いつめた米とNATO」だのとほざき、プーチンの弁護人を買ってでている腐りきった自称「左翼」どもを弾劾し、われわれは、「現代のヒトラー」プーチンの野望を断固としてうち砕かなくてはならないのだ。

W すべての労働者はウクライナ反戦に決起せよ

 侵略者・プーチンとその政権はいまや、軍事的にも政治的にも経済的にも、窮地に追いつめられている。首都キエフ攻略戦の大敗と東部ドンバス地方制圧戦における敗勢によって、すでにこの戦争に投入した戦力(兵と武器)の三分の一を撃破され、一日二兆円以上といわれる戦費(国家予算は三一兆円)と経済制裁によるダメージは、ロシア経済の危機を招いている。ミサイルも在庫切れが迫り、戦車は半導体の不足などのゆえに増産できない(すでに戦車には冷蔵庫などの家電から転用した半導体が使われている)。だが、プーチンはこの戦争を何の「戦果」もなしに終わらせるわけにはいかない。プーチンはありとあらゆる悪行を重ねたことのゆえに、政権倒壊はみずからの監獄入りに直結しているからだ。
 まさにこのゆえにプーチンは、マリウポリの一応の制圧にふまえて、今後は黒海沿岸の一帯のロシア軍による支配の死守(いわば防衛戦)に血眼となるであろう。そして同時に、東部とともに南部の「ロシア化」に狂奔するにちがいない。
 ロシア軍はこれまで、タンクの砲撃やミサイル爆撃によって街も村も破壊しつくし、無辜の人民を無差別に大量虐殺し、そして水・電気・ガスなどの生活インフラを破壊してきた。ロシア軍の配給する水と食料なしには人びとが生きていけない状況に追いこみ、そうすることによって制圧地域の「ロシア化」なるものをはかろうとしてきた。そこでは、全住民を調査し、多くの労働者・人民を拘束し拷問し、反ロシア的な人びとは「ネオ・ナチ」などと烙印して処刑し・あるいはロシア国内に連行し、また夥しい数の人びとをシベリア・サハリン・極東地方に送りこんでそこで働かせている。これが<プーチンの戦争>なのである。
 こうして今ロシア軍は、ウクライナ軍が掌握している東部の要衝セベロドネツク(ルガンスク州)の奪取に血道をあげるとともに、ヘルソン州などの「ロシア化」を遮二無二おしすすめ、同時に「次」を狙ってオデッサの破壊に懸命になっている。黒海の沿岸をすべて押さえれば、ウクライナは国家そのものが弱体化し、やがては親欧米政権を倒壊させられる――これが、侵攻以後三ヵ月の侵略戦争における基本的敗北のゆえに「長期戦」「消耗戦」を構えざるをえなくなっている現時点のプーチンの野望なのだ。
 しかも戦争が長期化すればするほどに世界にはエネルギー危機・食糧危機などの様ざまの危機が生みだされ、その深まりによって米欧の結束は崩れ・逆に中露を軸とするBRICSは強化される――これが人非人の「皇帝」プーチンの企みなのだ。たとえ世界で幾千万の餓死者が生まれようとも歯牙にもかけず、ウクライナの港からの食糧の輸出を阻止しているのも、そのためなのだ。
 そればかりではない。プーチンは、もしもロシア軍が支配している地域にたいしてウクライナ側が攻撃を仕掛けたならば、これをロシアそのものへの攻撃とみなして、核攻撃による反撃の挙にでる策謀をも練りあげつつあるのだ。
 こうしたプーチンの戦略転換をまえにして、にわかに浮き足だちはじめたのが、それぞれの国家的利害からこの戦争に関与してきた米欧帝国主義にほかならない。米欧帝国主義はこれまで、ロシアのウクライナ侵攻に戦慄し「今ヒトラー」の逆襲(=西進)を阻止するために、ロシアへの経済制裁とウクライナへの武器供与などをおこなってきた。だがいまや、いわば「ウクライナの勝ちすぎ」を恐れはじめている。
 アメリカ帝国主義のバイデン政権にとっての第一義的課題は、あくまでも米中対決に勝ちぬくことにこそある。「ロシアを弱体化させる」というその言辞に端的なように、この中国と結託する核大国ロシアの「強大化」は、なんとしても防がねばならない。だが、ロシアのウクライナ侵略戦争によって「NATOの束の間の結束」をはかりえたとしても、東アジアでは中国の「対外膨張」がますます加速している――八方美人のインドの蠢きを台風の目として。このゆえにバイデン政権は、「属国」日本の軍事力と経済力を動員して、中国に対抗しないわけにはいかないのである。しかも米国内では、政権の支持率は四〇%しかなく、秋の中間選挙では上下両院とも共和党への敗北が必至となっているのだ。
 他方、EUおよびNATOの諸国もまた、次第に足並みの乱れを露わにしはじめている。イギリスを襲う歴史的なインフレ、ドイツにおけるロシア産天然ガスの購入をめぐる政治エリート内部の対立と独占資本からの突きあげ、そしてフィンランドとスウェーデンのNATO加盟申請にたいするトルコの反対。……
 ウクライナ侵略戦争が長期化すればするほどに、米欧権力者どもはウクライナを見捨てようとするにちがいない。
 だからこそわれわれは、たたかうウクライナ人民と連帯して、いまこそ全世界の労働者・人民の力で<プーチンの戦争>を粉砕するために奮闘しなければならない。この「<プーチンの戦争>粉砕」闘争の炎を全世界で燃えあがらせFSB国家の「皇帝」を包囲することによって、権力の苛酷な弾圧に抗するロシア人民の「静かな反戦」はやがて「プーチン打倒」を掲げた反権力の闘いへと発展していくのだ。
 プーチンは今、ロシアの人民に向かって、二千数百万の戦死者をだしながらもナチス・ドイツを壊滅させた第二次世界大戦におけるスターリン指導下の「偉大なソ連」を喧伝し、そうすることによってみずからのFSB強権型支配体制を護持することに躍起となっている。だがロシアの労働者・人民がソ連邦崩壊以後の悲惨な社会経済状況を突破する道は、スターリン主義・ソ連邦のような「強い指導者を戴く大国の復活」にあるのではない。全世界の労働者・人民を裏切り「革命ロシア」を簒奪したエセ・マルクス主義としてのスターリン主義の反労働者的本質にめざめ、かつゴルバチョフらがおこなったソ連邦解体の反革命性を弾劾しつつ、まさに一九一七年のロシア・プロレタリア革命をこの現在に再び実現することにこそあるのだ。
 そしてまたウクライナの労働者・人民は、プーチンがさし向けたロシア侵略軍を断固として撃破するとともに、ロシアの心ある人びとと連帯し、かつてのレーニンの時代のようにウクライナとロシアの地にソビエト共和国を建設する方向へと前進していかねばならない。
 われわれは右のことを、ウクライナ反戦闘争の推進とともに・またそのただなかで、ロシアの労働者・人民、ウクライナの労働者・人民に訴えつづけていかなければならないのだ。

 すべての労働者諸君!
 われわれはこの日本の地において、既成諸政党・労組指導部らによる募金と避難民支援だけにきりちぢめられた「ウクライナ支援」運動をのりこえ、「プーチンのウクライナ軍事侵略弾劾」の旗幟を鮮明にした反戦闘争を、労働戦線のなかから断固として創造しようではないか!
 われわれはまた同時に、このウクライナ反戦闘争とともに日米軍事同盟の強化反対・憲法改悪阻止の闘いを高揚させなければならない。
 ウクライナ戦争は米―中・露の新冷戦を一挙に激化させ、東アジアにおいても戦争勃発の危機が高まっている。アメリカ帝国主義につきしたがう自民党・岸田政権はいま、「憲法九条で日本が守れるのか」などと叫びつつ、日米軍事同盟の「対中国」のグローバル同盟としての飛躍的強化・軍事費の大増額・憲法改悪に突進している。この歴史的攻撃をわれわれは絶対に許してはならない。
 いまや「ネオ産業報国会」に純化している「連合」芳野指導部は、陰に陽に傘下諸労組の反戦や護憲の取り組みを抑圧している。また「全労連」日共中央盲従分子は、「安保容認」「自衛隊活用」を主張し、反戦反基地闘争の破壊者の姿をむきだしにしているのだ。
 これら既成労組指導部の闘争放棄を弾劾し、いまこそ職場生産点からウクライナ反戦闘争とともに改憲阻止・反戦反安保闘争の大爆発をかちとろうではないか!
 すべての労働者諸君! 新たな戦争的危機をうち砕くために、全世界の労働者階級・人民と連帯し断固としてたたかおう!
 (二〇二二年五月二十二日)