ロシアのウクライナ侵略に反対しよう! Q&A |
全学連はこの一年、プーチン・ロシアのウクライナ侵略に反対する反戦闘争を全力でおしすすめてきました。 多くの学生がこの闘いに起ちあがり、たたかいながら学び、論議し、そして考えてきました。 こうした昨一年間の全学連のなかでの論議にもとづいて、ここでは学生の質問に革マル派代表が答えるというかたちで、新入生のみなさんにぜひ考えてほしいことをまとめてみました。【編集局】 T 軍事大国ロシアの軍隊はなぜ弱いのか Q ロシア軍がウクライナへの侵略を開始してから、一年と一ヵ月になります。 昨年の十二月頃から、ロシア軍はウクライナ全土にミサイルを雨あられと撃ち込んで、電気・ガス・水道などの施設を破壊しつくし、また集合住宅・病院・学校なども廃墟にしました。 ウクライナの人々は極寒の冬を無事に過ごせるのかと、とても心配しましたが、彼らはなぜ耐えられたと思いますか? A 彼らは、とても我慢強いだけでなく、お互いを助け合う精神がとても強いのだと思います。 プーチンが悪逆非道の限りを尽くせば尽くすほどに、ウクライナの人々は、「プーチンを絶対に許さない」という怒りの炎を燃えあがらせています。ある世論調査によれば、九〇%近いウクライナの人々が「勝利の日までたたかう」と述べているとのことです。 Q 東部のバフムトの攻防戦についても、「ワグネル」による攻撃の前にウクライナ軍は敗北し、陥落間近ということがずっと言われてきました。しかし今やロシア軍はこのバフムトでも敗北し撤退を余儀なくされているようです。 ロシア軍の敗北の根拠はどこにあるのでしょうか? A それはまず第一に、なんと言っても両軍の士気のちがいだと思います。 バフムトに送りこまれたのは、ロシア正規軍の空挺部隊などもいるにはいますが、主力は「ワグネル」。これは表向きは民間軍事会社ですが、実際はプーチンの私兵です。そして昨年の九月にかき集められた徴集兵――これは、ブリヤートやサハなどから送られた少数民族が多いのですが――彼らには戦争の大義など何もないのです。 これにたいしてウクライナの戦士たちは――それは国軍・国境警備隊・「自由大隊」のような人々が自発的に作った軍事組織・そして領土防衛隊などからなるのですが――士気高く戦いぬいています。 もしもバフムトから撤退すれば、一年前にアゾフスターリ製鉄所の攻防戦でついに投降を余儀なくされたマリウポリなどがそうであったように、そこに住む住民たちは選別収容所に入れられ、拷問され、女性たちは凌辱され、ある者は処刑され、ある者はシベリアなどの過疎地に送られてしまいます。そして子供たちは、親から引き離されてロシアに強制的に移送され、ロシア人として養子縁組みさせられてしまいます。だから彼らは踏ん張ったのです。 それにもしもバフムトから撤退したなら、春からの反転攻勢も難しくなる……それで決死の戦いを挑んだのです。 Q やはり仲間思いなのですね。 A そう。そして士気のちがいだけではなく、ロシア軍は戦術も指揮もデタラメ。とにかく人海戦術で戦場に突っ込ませる。もしも兵士が逃げ出そうものなら「督戦隊」と称する部隊が背後からこれを撃つ。ロシア兵士の生存率は一〇%くらいで、ひどい場合は一〇〇人いた部隊が二人しか残らなかったという。ロシア軍の死傷者は二二万人にのぼると言われています。 Q プーチンが「三月中にドンバス地方の二州を制圧せよ」と命令したことも関係するんでしょうね。 A そう。まずロシアの軍隊というのは完全に上命下服。これはソ連邦崩壊以前のスターリン主義時代の官僚主義が今なお根付いているのです。だから現場の意見を吸いあげるというのがまったくない。 さらにプーチンという元KGBの男は謀略と謀殺のプロかもしれないが、軍事上の戦略・戦術も軍事技術も分からない。この皇帝様が、「『努力せよ』ではない、『為し遂げよ』だ。これは命令だ」などと恫喝する。これもロシア軍の敗北の大きな要因であることはたしかですね。 これにたいしてウクライナの方は、逆。バフムトの攻防では、春からの反転攻勢に備えて戦力を温存するか・それとも味方に大きな犠牲が生まれようとも次の勝利のために敵に大打撃を与えておくか、ギリギリの判断が問われたと思う。しかしこれを判断したのは現地の司令官たちであって、キエフではない。ゼレンスキー政府は現場の指揮者たちの総意に従ったという。バフムトには、女性や外国からの義勇兵も含めて二万八〇〇〇人の志願兵が駆けつけたという。 さらに戦闘は兵站なしには戦えず、水・食糧・武器弾薬・燃料などを含めて兵士一人あたり一日二〇〇キログラムほどの物資の補給が必要なのだが、これを多くのウクライナ人民のボランティアが支えたことも、大きな勝因の一つだと思います。 こうしてプーチンは、またもや敗北を喫したのです。 U 世界史的事件にいかに立ち向かうべきか Q ところで私は、先ごろ、「NHKスペシャル」の「ウクライナ大統領府 軍事侵攻・緊迫の七十二時間」という番組を見ました。そして昨年二月二十四日のロシアのウクライナへの軍事侵略の三日後の二月二十七日に革マル派が発した「ロシアのウクライナ軍事侵略弾劾!」の声明(『解放』号外)を、あらためて読み直してみたのです。 A そうですか……。 Q すると、侵略から一年後に「NHKスペシャル」であきらかにされたことと寸分違わないことが、すでに書かれていることに本当にびっくりしました。 プーチンの野望がウクライナ全土の制圧―現政権の斬首作戦―傀儡政権のでっちあげにあり、ウクライナのロシアへの併呑ないし属国化にあること。米欧の権力者は「ソ連邦の解体とNATOの東方拡大は二十世紀最大の地政学的惨事」というプーチンの言辞の意味が捉えられず、顔面蒼白となったこと。そしてウクライナの労働者人民へのレジスタンスの呼びかけ……などなど。 A そうですね。プーチンの狙いは、ゼレンスキーを家族もろとも暗殺し、親ロシアの野党党首を擁立し、傀儡政権を樹立することだったのです。 それでアメリカのバイデンもEUの権力者たちも、何度も何度もゼレンスキーに海外に亡命するよう促したのです。しかしゼレンスキー政府はこれを拒否した。「欲しいのは(亡命用の)飛行機ではない。欲しいのは武器だ」と。 そして、ウクライナの人民がこれに呼応しました。これを見てはじめて欧米の権力者たちは、ウクライナへの軍事支援に傾いていったのです。 「欧米がウクライナ政府に戦争をけしかけた」などとうそぶく輩もいるが、これは事実としても違っている。バイデン政権などは、偵察衛星の情報などからロシアはキエフを狙っていると分かっていながら、二〇二一年の暮れに早ばやとプーチン政権にたいして「ウクライナに侵攻したらわれわれは経済制裁はするが、軍事介入はしない」などと通告していた。その意味ではバイデンはプーチンに侵攻のお墨付きを与えたとさえ言えるのです。 ともあれ、ウクライナの人民の決起がなければ事態はまったく違っていたのです。 Q 侵攻から一年経ったいま、「双方が武器を置き、即時停戦を」と言う人がいますが、これについてどう思いますか? また「米欧による武器供与も問題だ」と言う人もいます。これについてはどうですか? A いま「即時停戦」を唱えることは、プーチンによる四州併合を認めることにほかなりません。それはプーチンを喜ばせるだけです。 また「米欧の武器供与反対」を唱える者には、戦うウクライナの人々の声を聞けと言いたい。 「ウクライナ人民は戦わんとしても、ロシアの重火器や軍用機を破壊するために必要な武器を有していない。ウクライナ人民にとって、みずからが必要とする武器を得ることは死活問題なのである。それゆえ、ウクライナへの重火器の無条件供与の要求は、ウクライナのレジスタンス支援のもっとも重要な方法になる。これは、ウクライナ人民がこの戦争で勝利しうる唯一の方法なのだ。」 これは、ウクライナの戦闘的な左翼に属する青年・学生がつくった「ユース・フォー・ウクレイニアン・レジスタンス」の呼びかけです。血みどろの決死的戦いをくりひろげているウクライナの人々に向かって「火炎ビンと旧式の銃だけで戦え」と言うのは「死ね」と言うにひとしいのだ。 米欧帝国主義権力者にはそれぞれの利害があることなど、分かりきっている。 だが、階級的判断の絶対的基準は、ただ虐げられた労働者階級の現実的利害の防衛と擁護におかなければならないのだ。 Q そうですよね。 A 核大国ロシアの皇帝気取りのプーチンは、ウクライナを降伏させることなど赤子の手をひねるようにやさしいと考えていたにちがいありません。 しかしそれは、力の信奉者の奢りが生んだ大きな誤算でした。この一年間、プーチンはやることなすこと失敗ばかりですが、その最大の誤算はウクライナ人民の一致団結と決起にこそあったのです。 Q 革マル派は、情報も限られているのに、ウクライナの地で起こっていることをなぜかくも的確に予測しえたのですか? A いや、予測したというわけではないのです。それは、なんと言うか……情勢を読むということは、いわば「人の心読み」なのです。情勢分析とは平たく言えば、階級的諸実体の諸々の実践がゴツンゴツンとぶつかりあい動いているその動態を捉えることでしょう。もちろんわれわれは、この現実をわれわれが変革するために、そのためにこそまずは現実そのものをあるがままに把握するのです。 「あるがままに」ということはもちろん、表面的に現象だけを捉えることではありません。分析する対象である相手の心の内に分け入らなければ、生みだされた事態を本質的に捉えることはできないのです。 Q なるほど……なんとなく分かります。確かに私たちも、たとえば大学当局が自治破壊の攻撃などを仕掛けてきたとき、大学当局―背後の文科省―学生などを措き、相手の狙いを懸命に掴もうとします。 A だからぼんやり眺めていたり、ただ生みだされた結果を解釈したりしていたのでは、情勢に流されるだけになってしまいます。真剣に情勢を変革しようとすれば、まずは仁王立ちにならなければならないのです。 Q 革マル派の声明はちょうど侵略の開始から七十二時間くらい後に書かれていますが、そこでは「ウクライナの労働者人民はレジスタンスに起て」と呼びかけられています。まるで予言が的中したかのようです。これも先ほど言われた「心読み」なのですか? A そうです。たとえば侵攻の開始から三日の間に、「十八歳から六十歳までの男性は国外に出ない」という指示が出され、火焔瓶の作り方がテレビで放映されました。 お笑い芸人出身のゼレンスキー大統領の支持率はそれほど高くなく、むしろ低迷していたと言います。しかしまだ欧米の支援が表明されていないなかで、こういう指示が出せるということは、人民がこれを受け入れるにちがいないからなのです。そしてウクライナ政府の指導者たちがカーキ色の戦闘服を着て国民の前に姿を現しました。 大体これくらいの事実で、先に「NHKスペシャル」で報じられたようなことが決まったことは、推測できたのです。 Q なるほど、そうですか。先ほど「仁王立ちになる」と言われましたが、これについてもう少し……。 A われわれが「仁王立ちになる」ということは、われわれ自身が侵略者への怒りに燃え、突如として戦火のなかに投げ込まれたウクライナの人民の心中に思いを馳せ、われらはこの日本の地で何をなすべきかを懸命に考え実践することにほかなりません。そういう実践的立場に立たなければ、残忍な戦争への驚きも怒りも「何とかしたい」という熱情も闘志も湧き起こらず、白けた対応しかできなくなってしまうのです。 Q そうですね。心ある多くの人々は、プーチンの戦争の残忍さに心を痛め、苦悩するウクライナの人々に涙する。そして「戦争が一日も早く終わることを願う」と言いながら、自身の今日一日の平穏無事にちょっぴり感謝している。しかしこれでは、歴史的現実を主体的に生きているとは言えませんよね。 話を少し戻しますが、プーチンによるウクライナへの軍事侵略という事件が勃発したとき、革マル派は、これがたんなる領土紛争などではなくて歴史的な大事件だということを見抜かれたと思うのですが、これはなぜですか? A そうですね。たとえばプーチンが、「ソ連邦の解体とNATOの東方拡大は二十世紀最大の地政学的惨事」と言った。これをじっと考える。「ソ連邦の解体は惨事」とはどういうことか? いわゆる「ソ連社会主義」は「圧制と抑圧と貧困」の別名のようにさえなってしまった。このゆえに、東欧の「社会主義」諸国やソ連邦を構成していた多くの共和国の人々は、ゴルバチョフの「ペレストロイカ」(刷新)を導火線にして、「社会主義はもう御免」とばかりに西欧の「自由と民主主義」に憧れ、雪崩をうって西へ脱走した。こうしてソ連・東欧の「社会主義」はドラマティックに瓦解した。 ところがプーチンは、自身が東ドイツ在住のKGB員であったにもかかわらず、「社会主義」が人民の恐怖と憎悪の的になったとは感覚していない。彼の眼には、ベルリンの壁の向こうから流れてくるロック・スターたちの呼びかけに騙されて、民衆が壁を壊して脱走したとしか映っていないにちがいない。 さらに「惨事」に「地政学的」という言葉を付けている。これは一体何を意味するのか? ソ連邦の解体で失われたロシアの版図を、もう一度とり戻すということではないか。 そして、このかんプーチンのロシアが現実にやってきたことをおさえる。たとえばクリミア半島の併合……。 さらに、スターリン主義ソ連邦は過去に、ソ連の衛星国などで反乱が起こるたびに、つねに戦車と軍隊を送りこんでこれを圧殺し、傀儡政権をうちたててきた、という過去の事実を想起する。ハンガリー、チェコスロバキア、ポーランド、そしてアフガニスタン……。 このように、プーチンの<言>と<動>から彼の頭の中を推測していくと、大体分かるのです。情報の量よりも、推論の質と深さの方が大切だと思うのです。 Q そうですか。ああ、これが黒田さんの言われる現実の下向分析ということなのですね。 A そうです。実際にはなかなか難しいのですが、全学連の人たちには仲間が一杯いるのですから、「おまえはそう思うのか・でもちょっと違うなあ・僕はむしろこう思うんだ」というように、みんなでわいわいやればいいんじゃないですか。 Q 三人寄れば文殊の知恵、十人寄れば黒田さんの知恵……はは。 A そしてその場合ね、われわれが特定の実体、たとえばプーチンならプーチンを分析しようとするときには、彼という主体と彼がおいてある場所とを措定することが大切。これをやらないと解釈になってしまい、時には勘ぐりになってしまう。そのうえで、分析するわれわれの身を彼の立場に移し入れてみる。 Q 前に先輩に教えられて同じようなことを言ったらですね。「あんなろくでなしのプーチンの立場になんか立てない。立ちたくない」と言う仲間がいた。 A ……気持ち、わかるけど。でもね、スポーツだって囲碁・将棋だって、相手が何を考えているかをまず掴まなければ、勝てないでしょう。「敵を知り己を知れば百戦危うからず」だから……。あとでぶちのめせばいいんじゃない? V <プーチンの戦争>とは何か? Q <プーチンの戦争>ということが、よく言われます。それは、「残忍な戦争」とか、「プーチン一人が判断してはじめた戦争」、したがって「プーチンが決断すれば終わる戦争」とかといったニュアンスで言われているようです。 <プーチンの戦争>という言葉を私たちも使っていますが、それにはどんな意味があるのですか? A そうですね。まず、昨二〇二二年の一年間にいろいろの場で、プーチンがどういうことを言っているかを見てみましょう。 「ウクライナという歴史的なロシアの領域に『反ロシア』が生まれることなど誰も想定していなかった。われわれは容認できない。」(四月) 「国家としてのウクライナやその主権と領土を保証できるのは、今日のウクライナをつくりだしたロシアだけだ。」(十月) 「ネオ・ナチによるウクライナ国民の洗脳は数十年続いてきた。」(十二月) これらはいずれも、昨一年間にプーチンが発した言葉です。 ここに明らかなように、ウクライナという国はロシアの属国としてしかその存在を許さない。それが嫌なら、ウクライナという国家も民族も抹殺する。――これがプーチンの考えです。 どうやらプーチンは「ウクライナ人の洗脳を解くための正義の戦い」という自身が作った荒唐無稽の物語を本気で信じているようなのです。 Q いつからこんなことを考えるようになったのですか? またなぜウクライナをこんなにも目の敵にするのですか? A そうですね。すこし歴史を遡りますが、一九八九年以降の東欧「社会主義国」のドミノ倒しのような倒壊につづいて、一九九一年にはソ連邦そのものが十五の共和国に分解してしまいました。これは、当時のエリツィンのロシアとベラルーシとウクライナの三者がベラルーシのある森の中の別荘に集まって決めたのです。 Q ロシア自身が決めたことを、それから三十年も経ってから「あれは間違っていた。ウクライナは歴史的に見てロシアのものだ」と言ったって、誰も納得しませんよね。ウクライナの人々が受け入れるはずがない。 A そう。特にウクライナは、スターリン時代のソ連邦のもとで、かの「ホロドモール」をはじめ塗炭の苦しみを味わわされてきたのだから……。 Q プーチンという男は、「ソ連社会主義」がソ連および東欧諸国の人民からいかに忌み嫌われ・あるいは憎悪されていたかということを、まったく理解していないのですね。 A そうですね。 で、プーチンは「NATOの東方拡大が元凶」のように言い、これに追随する学者や評論家や自称左翼がいるのですが、これはあまりにも身勝手な主張にすぎません。 なぜかと言うと……解体される前のソ連邦では、産業構造が共和国別・地方別に分断されていました。そこで独立国家ではあるが連合体のようなものを形成しなければ経済的交通関係も成立しません。だから旧ソ連邦の権力者たちは「独立国家共同体(CIS)」というヌエ的な名をかぶせたものをつくろうとしたのです。 しかしこれは、「分離ののちの連邦制」というレーニン的原則を踏みにじってつくられたスターリン主義的連邦制、つまり官僚主義的中央集権制、これについての反省などまったくないことのゆえに、「大ロシア主義の再現」としか映じない。だからCISは、発足と同時に空中分解してしまったのです。 Q その場合、ウクライナはどんな態度をとったのですか? A この時ウクライナは、モスクワにたいするいわば反乱の先頭に立ったのです。エリツィンのロシア連邦がCISの「統一軍」を作ることを主張したのにたいして、ウクライナは「独自軍」を主張するとか、黒海艦隊をウクライナの管理下に置くことを主張するとか……。 だからクレムリンの支配者にとって、ウクライナは兄弟でありながら自分に牙をむく憎き存在なのです。 ソ連邦の瓦解以降ウクライナは、ロシアの方に顔を向けたり西欧の方に顔を向けたりしてきたのですが、やはり決定的なことは、二〇一四年のいわゆる「マイダン革命」(「尊厳革命」)でしょう。親ロシアのヤヌコビッチ大統領の政権が人民の怒りに包囲されて倒壊し、大統領はモスクワに逃亡した。この男は、ドンバス地方の役人出身の元スターリン主義官僚であるが、汚職まみれで、自分の私邸の中に動物園まで作っていたという。キエフには汚職博物館というものがあるらしい。 ちなみにウクライナには、ロシアと気脈を通じたオリガルヒがたくさんいて、主要なテレビ局を牛耳ったりしており、法制度が整っていないこともあって汚職も横行しています。だからゼレンスキー政権は、今も汚職の摘発に大童なのです。 Q ああ、そうですか。……「マイダン革命」は、元諜報員のプーチンには、米欧の諜報員に操られ西欧に洗脳されたウクライナの国民が起こした謀略事件と映るのですね。 プーチンは、「二十世紀最大のスパイ」という異名を持つゾルゲに心酔し、「ああ、諜報員になれば世界を動かせるのか」と思ってKGBに入ったらしいですね。 A そう。プーチン政権のもとで、ここ数年ロシアでは、ゾルゲが神格化されているらしい。モスクワの地下鉄に「ゾルゲ駅」が新設されたり……。 Q この「マイダン革命」の後に、ロシアはクリミア半島を併合したのですね。 A そうです。もともとロシアの権力者は、ソ連邦の崩壊以降、バラバラになり離脱していった各独立国を再びロシアの勢力圏内にとり戻したり繋ぎとめたりするために、そこにロシア人を移住させ非ロシア人を支配しようとしてきました。バルト三国やモルドバ、ウクライナでは東部ドンバス地方やクリミア半島ですね。そして内戦を起こしたり、あるいはデタラメな住民投票をでっちあげたりして、それらをロシアの領土の中に組みこもうとしてきたのです。 ロシアによるクリミア半島の併合にたいして、西欧諸国は曖昧な態度をとり妥協した。このいわば成功体験にふまえて、プーチンは今度は、ウクライナ全土の制圧と属国化ないし併合という暴挙にでたのです。 W 今なお問われるスターリン主義の大罪 Q こうしてみていくと、先輩が言っていましたが、たしかにソ連邦の崩壊という三十年前の歴史的大事件は、今なおたんなる過去の事件ではない、という気がしてきます。 A そう、そうなんです。「ソ連スターリン主義」は体制としては瓦解し歴史の表舞台から姿を消しました。しかしまるでゾンビのように、今なお生きて悪さをし、労働者人民を苦しめているのです。 その最大の罪は、次のことにあります。 前世紀には永くベールにつつまれてきた「ソ連社会主義」のむごたらしさが今では常識になり、そして常識になってしまったがゆえに、全世界の多くの労働者人民が「社会主義はもうコリゴリだ」と思いこんでいることです。 このソ連スターリン主義の崩壊という衝撃波によって、世界の階級闘争、労働運動は大きく後退してしまったのです。それは階級闘争の指導部がみずからの針路を見失い、思想転向をやってのけたからです。そして東西角逐から解放され「資本主義の勝利」に酔った世界中のブルジョア政府=支配階級が、労働者階級に容赦のない貧困と抑圧を強制しだしたのも、このゆえなのです。 ひとりわれわれ反スターリン主義運動だけが、<反帝・反スターリン主義>をますます高く掲げてたたかったことは言うまでもありません。もちろん全学連のみなさんと共に。 Q スターリン主義がニセのマルクス・レーニン主義でしかないこと。このゆえに必然的に破産したこと。これについて、やや詳しく話してもらえますか? A 資本主義における賃金奴隷制とは、「自由・平等」というイチジクの葉で覆い隠された階級支配のどんづまりであり、被支配階級である労働者階級こそが国境を越えて団結して、「共産主義」という未来社会を切り拓かなければならない――こういうことをあきらかにしたのが、マルクスとエンゲルスでした。そしてこれをロシアの地でプロレタリア革命として実現し未来社会への扉を現実に開いたのが、レーニンと彼の率いたボルシェビキでした。 ところがレーニンの死後、ソ連の党と国家の最高指導者にのしあがったスターリンは、マルクス・レーニン主義を裏切り、「一国社会主義(革命と建設)」論なるニセ理論をもって全世界の労働者階級の解放の闘いを抑圧するとともに、国内では勤労人民に圧制を敷き人民からの収奪をほしいままにしたのです。また第二次世界大戦に際してはスターリンのソ連は、「民主主義的帝国主義」と同盟しナチス・ドイツと戦うとともに、廃墟と化した東欧の国々に軍事力をバックに「人民民主主義」という名のスターリン主義官僚専制国家をでっちあげたのです。 こうして二十世紀の後半は、全世界が帝国主義とスターリン主義とによって分割され支配されました。 Q そのあたりは、昨年、私たちもよく勉強しました。そしてスターリン主義ソ連邦は、帝国主義国アメリカと同様に、対抗的軍備拡張競争の泥沼にはまりこみ、そうすることによって自国経済が完全に疲弊し、軍事化されたソ連経済は危殆に瀕してしまったのですね。 A ところが、こうした米ソ角逐下でソ連の敗色が濃厚になるなかで、完全に行き詰まった「スターリン型社会主義」――つまり官僚主義的中央集権制にもとづく強権的支配、官僚主義的計画経済、そして一国社会主義の防衛と建設のための強硬な対外政策など――から脱却しようともがきはじめたのが、ソ連共産党最後の書記長=ゴルバチョフでした。 彼は、マルクス・レーニンがめざした社会主義は「幼稚なユートピア」などと罵り、マルクス・レーニン主義からの訣別を宣言しました。そして、超階級化された「民主主義」や「市場経済」を導入することによって、「スターリン型社会主義」を西欧型社会民主主義の方向へ転換させようとしたのです。 Q このゴルバチョフによる政治・経済・国際関係・党などのあらゆる部面の「ペレストロイカ」(刷新)を引き金にして、先ほど述べられたように、まずは東欧諸国が西側に駆け込み・次にはソ連邦そのものがバラバラになったのですね。 A そうです。そしてこのゴルバチョフのあとを継いで、資本主義ロシアの復活に狂奔しはじめたのが、エリツィンなのです。 彼らは、破産したスターリン主義をレーニン主義の必然的帰結などとみなしてこれを否定し、さらにこれをマルクスの階級独裁論と重ねあわせることによって、マルクス主義そのものを投げ捨てました。<ソ連邦の解体>という歴史的事業をやってのけたゴルバチョフと、<資本主義ロシア>を二十世紀末に再興したエリツィン――この二人は世紀の大罪人なのです。 Q ソ連邦崩壊後のロシア経済は悲惨きわまりなかったと聞きましたが……。 A そうです。ロシアの資本主義復活による再生という夢はもろくも潰え去りました。「国破れて山河あり……」。亡国ロシアに現出したものは、すさまじい経済的・政治的アナキーでした。 つい昨日までスターリン主義党官僚であった輩が、国有財産を二束三文で買いたたいて資本家的経営者に転身し、あるいは国家のフォンドや海外からの支援物資をくすねて闇市場に流す――こうした官僚的資本家や商業マフィアが跋扈(ばっこ)しました。マフィアが暗躍する「影の経済」が国民経済の四〇パーセントを占め、物価上昇率は一〇〇〇パーセントにはねあがり、失業者数は三〇〇〇万人に達しました。生産はスパイラル的に下降し物流は大混乱し、物々交換経済が出現しました。 Q 「市場経済の導入」はロシアではなぜスムースにいかなかったのですか? A そうですね。歴史的には、帝政時代のロシアではミール共同体を基礎とした農奴制経済が普遍的でした。またスターリン時代には官僚主義的計画経済がとられていました。このゆえにロシアでは、いわゆる商品経済はあまり発展していませんでした。そこに「市場経済」なるものを、あたかも「魔法の杖」ででもあるかのようにみなして突っ込んだとしても、それは「安く仕入れて高く売る」いわば商人資本のようなものを生みだすにすぎず、市場経済ならぬマフィア経済の横行にしかならなかったのだと思います。 そもそも資本制生産とは、労働力の商品化を根拠にして無政府的におこなわれ、この無政府性が価値法則の貫徹によって「調整」されるのであって、そこに商品経済の歴史的な独自性があります。ところが彼ら官僚どもは、帝国主義段階において経済的危機をのりきるために創出された国家独占資本主義という経済形態についての把握もないままに、ただただ十九世紀の自由主義的資本主義経済を「市場メカニズムの導入」の名において模倣し、そうすることによって破綻した官僚主義的計画経済を立て直そうとしたのです。このこと自体が観念的夢想でしかないのです。 現に今もロシアでは、エネルギー・資源産業や軍産複合体による軍需産業をのぞけば、産業がまったく育ってはいません。 たとえスターリン主義体制が体制としては瓦解したとしても、この体制の残骸が存続している以上、資本制生産が発展し、価値法則が作用し貫徹する経済が現出するわけではない。それは資本制経済であると同時に資本制経済ではない「擬似資本制経済」というほかないのです。このあたりのことは『実践と場所』第一巻の「マド五七」などを参照してください。 X 危機を深める現代世界を変革しよう Q 一九九九年にエリツィンから大統領の座を譲りうけたプーチンは西欧にたいして、経済的に立ち後れていることについては劣等意識を抱き、同時に、核軍事力では優位に立っていることに優越感を抱いているように見えます。このアンビバレンスの現実的な基礎は、先のようなことにあるのですね。 A そう思います。経済音痴のプーチンも、一時はEUに入りたかったようなのですが、今では欧米の資本が入ってこないのはロシアいじめ≠フせいだと思っているのでしょう。だからまた、ウクライナ侵略において惨めな敗北を喫したとき、「使える核」のボタンに手をかける衝動を強めかねないのです。 Q ロシアの労働者人民は、ソ連邦崩壊以降のロシアについて、どう思っているのでしょうか? A そう。それが問題なのです。 ソ連邦崩壊後のロシアにおける先に述べたような経済的・政治的アナキーは、スターリン主義党専制のもとで塗炭の苦しみをなめさせられてきた勤労人民のニヒル感をますます増幅させたにちがいありません。 官僚主義的圧制に呻吟しながらも、超大国・ソ連邦の国民としての誇りを抱きつづけてきたロシアの人民。彼らは、自尊心をいたく傷つけられ、そうすることにより民族的情念を内から湧きおこしました。同時に、つらく苦しい一九九〇年代を、ロシア的忍従をもって耐えぬいたことに、誇りをもっているにちがいありません。 これを利用して「偉大なロシアの復活」を煽りたててきたのが、プーチンです。彼は、謀略をもってチェチェンの人民を血の海に沈め、また己れにさからうオリガルヒを謀殺したり投獄したりしてロシアの基幹産業を己れの支配下においた。そして、いまやピョートル大帝気取りでFSB〔連邦保安庁〕強権型支配体制に君臨している。 だからわれわれはロシアの労働者人民にたいして、声を大にして言わなければならない。 ロシアの労働者人民よ! 諸君が戻るべきところは、「二十世紀最大の惨事」とプーチンが言うところの、ソ連邦が崩壊した一九九一年なのか。あの暗く陰惨なスターリン時代なのか。はたまた帝政ロシアの時代なのか。 ロシアの人民が戻るべきところはただひとつ――、全世界のブルジョア支配階級を震撼させ、そして全世界の虐げられた労働者階級に限りない希望と勇気を与えたあの「一九一七年」ではないのか。 一九一七年にロシアの大地で生起した出来事は、一八四八年のマルクスの『共産党宣言』によって告知された「近代から現代への本質的転換」をばロシアの労働者階級の革命的実践をつうじて現実的に実現した事態であり、まさしくわれわれの生きる「現代という時代」を拓いた結節点的な出来事なのだ。たとえ革命ロシアがスターリン主義的に変質し・このゆえについにはスターリン主義ソ連邦が崩壊したのだとしても、またいかにブルジョア支配階級が「二十世紀における共産主義の壮大な実験は失敗に終わった」などと凱歌をあげようとも、われわれの生きる現代史の起点としての「一九一七年」は・その意義は、決して消し去ることはできないのだ。 ロシア・プロレタリアートは、クレムリンを包囲し、プーチン皇帝を打ち倒せ! ロシア侵略軍の兵士は、一九一七年のロシア兵がそうであったように、銃の向きを変え、この戦いに合流せよ! そしてウクライナの労働者人民は、<プーチンの戦争>をなんとしてもうち砕き、さらに進んでユーラシアの大地に労働者国家を再興するという壮大な一本の道へその歩を進めよ。 ――これが、ソ連のタンクにより無慈悲にも踏みにじられた一九五六年のハンガリー革命以来、帝国主義打倒とともにスターリン主義打倒を掲げて一貫してたたかいぬいてきたわが反スターリン主義革命的左翼の心からの訴えなのです。 ウクライナに、ロシアに、そして全世界に、なんとしても反スターリン主義の革命的マルクス主義の運動を波及させ、プロレタリアの自己解放の闘いを再生させたい。こういうわれわれのプロレタリア党としての訴えにも是非共感していただき、全学連のみなさんには、ふやけきった一切の既成の運動をのりこえ、<プーチンの戦争>に断固として反対する反戦闘争をさらに創造し展開していってほしいと思います。 Q はい。私たちもさらに闘います。お聞きしたいことはまだまだ沢山あります。 中国のネオ・スターリン主義について。「一超」軍国主義帝国アメリカの凋落について。米中角逐あるいは東西新冷戦について。核戦争と第三次世界大戦の勃発の危機について。資本主義国における十九世紀的貧困の現出はソ連スターリン主義の崩壊とどのように関係しているかについて。またなぜ世界中で今ヒトラーやミニ・ヒトラーが闊歩(かっぽ)しだしたかについて。さらに地球温暖化について、などなど。 それから黒田さんと革マル派は、世の中に先駆けること五年も十年も早く世界の構造的変化を読んでおられると思いますが、これはどうして可能なのかということについても、とても知りたいです。 しかし時間の関係で今日はここまでとします。いつかまたお願いします。 A 今あげられたすべての問題が、実はスターリニズムの問題とつながっています。ソ連の崩壊をもってマルクス・レーニン主義は命脈が尽きたというのは、ブルジョア階級の歴史観にすぎません。逆に言えば、崩壊したのは反労働者的なスターリン主義にすぎないことに目覚めるとき、マルクス・レーニン主義は燦然と輝き、すべての問題がつながり、世界がまったく違って見えてくるはずです。そして悲惨なこの世界の底に胎動するものが見えてくるはずです。 若い仲間たちが、世界史の新しい将来を拓くための変革的実践に是非加わられることを願って、ひとまず終わりたいと思います。 ともに頑張りましょう。 |
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